金山大権現(多摩市関戸)

2026.03.18[ 神社 ]

金山大権現(多摩市関戸)

「徳川家康御尊柩休憩場所」にお祀りされた石祠 金山大権現(多摩市関戸)

「徳川家康御尊柩休憩場所」にお祀りされた石祠「金山大権現(多摩市関戸)」。

1616年(元和2年)、駿府で亡くなった徳川家康。『遺体は久能山に葬り、一周忌後に日光山に小堂を建てて祀り、八州の鎮守となれ』との遺言に従い、翌1617年に日光への改葬の際に通った道は「御尊櫃御成道」と呼ばれています。現在の中川〜東京・府中への経路は、小田原、中原(平塚)、木管(町田)を経由したと記録に残っており、府中へ向かう際に多摩川の河止めに遭い、ここで一泊したと云い、これを記念して金山大権現の石祠を建立したと伝わっています。

創建年代は定かではありませんが、現在の石宮には1814年(文化11年)の銘ががあるそう。

石祠横にある案内板には、以下のように記されています。

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・建立
石祠(ほこら)には文化十一年(1814年)十一月吉日と彫られていたと伝えられており、祠の左側面に「奉建立立石宮 金山大権現」と彫られているのがわずかに確認することができます。

・徳川家康の日光への遷葬(せんそう)
元和2年(1616年)4月に静岡県駿河で逝去した徳川家康の棺は、遺言に従い翌年の元和3年久能山(静岡県)から日光(栃木県)に移されました。
この移送について関戸には、古文書と伝承が残っています。
元和3年に出された文響には、久能山から三島、小田原、中原(平塚)、木管(町田)、府中、仙波(川越)、忍城(行田)、佐野、鹿沼、日光と云う移送ルートが記されています。
その距離、306kmで約ひと月の道のりでした。
関戸は、木曽から府中に至る宿駅となっており、この地で人馬の継立(つぎたて:交代)が行われたものと思われます。
伝承では関戸から府中に行く際、多摩川の河止めに遭い、一行は一泊したとの言い伝えがあり、一泊したこの場所に、金山大権現の石祠を建立したものと思われます。
石祠は徳川家康が祀られている日光東照宮の方向(北)を向いて設置され、今も地域の方々や関戸熊野神社により、大切に維持管理されています。

令和2年10月吉日関戸熊野神社

「小野路から関戸への道中でのアクシテント」
小野路を出発して鎌倉街道「上の道の向坂」と言う急坂を下った時、御尊柩をのせた車の車軸が壊れ急遽小野路村から鍛冶屋を呼び寄せ修理をさせました。そして一行は瓜生坂を超え、貝取村関戸村を通過し多摩川を渡り無事府中御殿に入ることができました。小野路村の人たちは車の修理や道の警儀に尽力したと、幕府から助郷免除の権利を得たと伝えられています。

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最寄駅は、京王電鉄京王線「聖蹟桜ヶ丘」駅。

旧鎌倉街道から脇道に入ります。右下に写る案内板がなかったら迷うかも。。

少し進むと、祠が見えてきます。

正面から。かつては横にある木が目印になっていたものと思われますが、現在は伐採されています。

石宮近影。

MAP

東京都多摩市関戸5丁目

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