笹下稲荷神社(横浜市港南区港南)

2021.09.11[ 神社 ]

笹下稲荷神社(横浜市港南区港南)

根岸監獄に祀られていた稲荷祠が起源 笹下稲荷神社(横浜市港南区港南)

根岸監獄に祀られていた稲荷祠が起源・横浜刑務所の敷地内に鎮座する「笹下稲荷神社(横浜市港南区港南)」。

根岸監獄は、1899年2月に掘割川沿いに建てられました。赤煉瓦の塀で囲まれていたといいます。しかし関東大震災により81棟中28棟が全壊し、後に現在の笹下地区に移転。これが現在の横浜刑務所です。

「篤志寄付の御礼」と題された案内板には、神社の由緒について、以下のように記されています。

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笹下稲荷神社は、横浜刑務所の前身である根岸監獄に稲荷祠が祭られておりましたが、大正十二年の関東大震のとき、全ての建物とともに烏有に帰してしまいました。
爾来四十年余を経て、昭和四十年二月吉日に当地に御遷座申し上げ、地域住民の皆様の繁栄と横浜刑務所の無事安泰を祈願するためお祭りいたしております。
さて今般、老朽化が著しいお社の大改修工事に当りましては、横浜刑務所敬友会及び地域住民の皆様から過分なる浄財の御寄付をいただき、無事お社等の改修を完了し、過日、神霊を新お社に遷座し神事のすべてを終えることができました。改めて皆様からのお心遣いに感謝いたしますとともに御礼申し上げます。

平成十八年三月吉日
官舎自治会長
笹下稲荷神社総代

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関東大震災時の顛末について、横浜開港資料館のサイトには以下のように記されています。

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9月1日午後6時、当時の椎名横浜刑務所長は受刑者を収容する場所や食料の確保が不可能なことから、法の定めに従い、受刑者1,134名中、生存者全員を解放した。多くは刑務所に残り、応急施設の建設などにあたり、また一部の受刑者は名古屋刑務所に移送された。9月末日までの帰還者は780名、残りの300名あまりは逃亡者とみなされた(神奈川県警察部編『大正震火災誌』)。

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横浜開港資料「開港のひろば」館震災による倒壊より抜粋)

この帰還者数(帰還率)って、結構すごい(良い意味で)数字だと思います。

このお稲荷さま、横浜刑務所の敷地内にあるのですが、(24時間ではありませんが)基本的に市民に開放されているエリアにお祀りされているので、日中ならお詣り可能です。

最寄駅は、横浜市営地下鉄ブルーライン「港南中央」駅。「上大岡」駅からも徒歩圏です。

MAP

神奈川県横浜市港南区港南4丁目3

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