八坂神社(多摩市連光寺)
2026.03.10[ 神社 ]

多摩市最高標高地点にお祀りされている「八坂神社(多摩市連光寺」。
詳しい創建年代は不明ですが、かつてはこの土地の所有者の個人宅内にお祀りされていたと云います。その後江戸時代末期頃に村で一番高い現在地にお祀りされるようになりました。
神社の脇にある石碑『天王の森の由来』には以下のように記されています。
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この地は東京都多摩市連光寺に在りて、多摩市の一番東に位置し標高百六拾二米で、多摩市で一番高い所であり万葉の昔より多摩の横山と呼ばれ南西に丹沢西に富士北に御嶽男体山を望み北東に筑波山がある。眼下に絹の如く流れる多摩川を望み関東の連山ことごとくこの地に集まるが如しと万葉の昔に詠まれた詠み人知らずの文があると言われております。
東に日本国の首都東京があり、江戸時代から明治にかけて東京に変わる姿を永い間視てきた森であり昭和の初年頃までは横浜市も高い建物もなく海でさざ波が又船の出入りもよく見えたと言われており誠に風光明媚の土地であります。
この土地は約二千四百平方米有り古来より当地域の一番辰巳に居宅を構えた屋号が向原と呼ぶ家の土地であり地続きで、所有地であった。その昔、京都市東山区に鎮座しております八坂神社別名天王様は村で屋号が向原と呼ぶ家の屋敷内に鎮座しており江戸時代末期に京都市東山区の八坂大神様の御使者が向原家に参り天王様が村で一番高い所に社殿を構えたいと望まれ願いを聞けば当家は、何代かは安泰に暮らせると言われて現在地の天王の森に向原家で個人自費で社殿を新築し御遷宮をしたと、私共の家では御先祖様より言い伝えられており、現在に至っております。
八坂神社は全国に約三千六百有余の神社があり関東に約九百四社の分社の天王様がある。向原家はキュウリは天王様の紋処だと半分にして食べている。当地域で平成七年五月二十八日に白山神社並び八坂神社を再建、造営、御遷宮式、又遷座式を挙行し記念に氏子一同平成七年十一月二十二日、二十三日に京都市八坂本宮に、正式神前参拝をして、八坂本宮に末社願いを提出してある天王様であります。当土地は当地域の屋号は向原家より明治二十七年に約千三百六平方米を天王様に寄贈され今は八坂神社の境内地である。寄贈者荻原甚平氏より村の代表者である受贈者荻原作兵衛氏他二十九人持ちに明治二十七年に登記されております。時の役員は検分をする事に成っている。ゴズテンノウサマガヤマトノクニノヤマシロノクニ牛頭天王様が大和の国山城の国現在の京都市東山区の八坂神社に立ち一句詠まれた句を私共一族郎党四十三名そろい昭和五十八年八月三日に京都市を見物の時に拝見する事が出来たので後世に残す使命を感じ残します。
昭和五十八年八月十五日記
ヤクモタツイズモヤエガキヤエガキツクルソノヤエガキヲ八雲立つ出雲八重垣つまごみに八重垣造るその八重垣を
この一句が日本国の和歌の興りであると言われております。
<以下一部略>
平成十八年四月吉日
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現在の御祭神は、素戔嗚尊・櫛稲田姬命。
最寄駅は、京王電鉄相模原線「京王永山」駅、あるいは「若葉台」駅。若葉台からだと、徒歩約20分ほど。
神社外観。
正面の鳥居。石段の先に社殿が見えます。
社殿。
社殿前の狛犬。
『明治天皇御野立所碑』。連光寺は明治期に御遊猟場(御猟場)に指定され、明治天皇が数度訪れており、この行幸がきっかけで最寄駅の名称が「関戸」駅から「聖蹟桜ヶ丘」駅に改称されました。
一等三角点の標石。後ろの案内板には『多摩市最高地点 標高161.7m』と記されています。
神社の北側にある『天王の森の由来』碑。
MAP
東京都多摩市連光寺6丁目19−1