尾崎熊野神社(杉並区成田西)

2024.11.22[ 神社 ]

尾崎熊野神社(杉並区成田西)

旧成宗村字尾崎の鎮守 尾崎熊野神社(杉並区成田西)

鎌倉道沿いにお祀りされている、旧成宗村字尾崎の鎮守「尾崎熊野神社(杉並区成田西)」。

創建年代は定かではありませんが、大宮八幡宮と同じ時期の平安時代後期ではないかと伝わっています。その後鎌倉時代末期にこの地に移住してきた武士が、熊野権現を祀ったとも云われています。江戸時代には旧成宗村字尾崎の鎮守としてお祀りされていました。

杉並区教育委員会による案内板には、以下のように記されています。

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この神社は、五十猛神・大屋津比売命・抓津比売命の三柱を祭神とする旧成宗村字尾崎の鎮守でした。
当社の創建年代は明らかでありませんが、大宮八幡宮とほぼ同年代の創建といわれ、鎌倉時代末期に鎌倉から移住してきた武士が、代々崇敬する紀州の熊野権現をこの地へ祀ったことに基づくと伝えられています。関連資料として、安藤本家文書や宝昌寺の境内から出土した板碑があります。
「新編武蔵風土記稿」の成宗村熊野社の条には「除地五畝 小名尾崎ニアリ 社ハ二間ニ二間半 神体白幣(中略)村内宝昌寺ノ持ナリ」とあり、江戸時代には、宝昌寺が別当を務めていました。
明治維新後、大宮八幡宮の神職が兼務するところとなり、明治41(1908)年、付近に散在していた稲荷神社・猿田彦神社等を境内に合祀し、現在は境内末社として祀っています。
地名の尾崎については、源頼義が奥州征伐の折に当地で見た白幡のような雲の尾のあたりを尾崎と名付けた、という説があります。
昭和43(1966)年秋、境内から縄文時代早期の土器片、縄文時代前期・古墳時代後期の住居跡が発見され、古くからこの地には、人々が生活を営んでいたことがわかります。
なお、境内にそびえる大木の「尾崎熊野神社のクロマツ」(杉並区指定天然記念物)は、当社の御神木で、樹齢約400~500年といわれ、区内でも有数の樹木の一つです。

令和6年3月 杉並区教育委員会

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上記の通り、御祭神は、五十猛神・大屋津比売命・抓津比売命。

現在は大宮八幡宮の兼務社となっているようです。

最寄駅は、東京メトロ丸ノ内線「南阿佐ケ谷」駅。

神社入口。

正面の鳥居と社標。

参道の途中にある木製のニノ鳥居。

境内の様子。

拝殿。

境内社。左が御嶽神社、右が稲荷社。

境内の狛犬。

樹齢400年以上と言われる、御神木のクロマツ。

MAP

東京都杉並区成田西3丁目9−5

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