小野神社(町田市小野路町)
2024.02.10[ 神社 ]
小野篁を祀る旧小野路村の鎮守「小野神社(町田市小野路町)」。
972年(天禄3年)、武蔵国の国司に命じられ赴任した小野篁の七世孫・小野孝泰が、この地に小野篁の霊を祀ったことが神社の起源だと伝わっています。江戸時代には小野路村の鎮守として祀られていました。
明治期には、村内の(別所)熊野神社・(下宿)子神社・(中宿)諏訪神社・(中宿)天満宮・(新屋敷)八満神社(八幡神社?)・(大向)稲荷神社・(大向)浅間神社(戦後に還座)・(中宿)諏訪神社・(向坂)日吉神社・(不明)日吉神社・(瓜生)稲荷神社・(下堤)日吉神社・(下堤)熊野神社を合祀しました。
境内にある御由緒板『小野神社の由来』には、以下のように記されています。
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小野路は鎌倉みちの宿駅として鎌倉と武蔵の国府の置かれた府中に通づる要街の地にある。宿の入り口にある小野神社は、小野篁の七代の孫小野孝泰が武蔵の国司として天禄年間(九七二)頃赴任し、小野路のこの地に小野篁の霊を祀ったことに由来する。
小野篁は、平安時代前期の人で和漢に優れた学者で、学問の神様であり、菅原道真の先輩にあたる。篁の孫小野道風は、平安時代を代表する書家で三蹟として有名である。
なお、小山田氏の小野路城があった城山には、小町井戸と伝えられる遺趾もあり、小野氏との関連が深い地である。
応永十年(一四〇三)には、小野路村の僧正珍が寄進を募り、交通の安全を祈願して宮鐘を奉納した。朝夕に別当寺の清浄院(現在廃寺)の僧が宮鐘を撞いて旅人に時を知らせたという。
戦国時代の文明年間に、両上杉の合戦で、この宮鐘は山内上杉の兵によって、陣鐘として持ち去られた。現在は、神奈川県逗子市沼間の海宝院に保管されている。宮鐘は昭和五十九年に多摩市の塩沢貞氏によって復元寄進され、拝殿の右側面に設置されている。
神輿は小野神社神輿保存会によって修復事業が行なわれ、昭和六十年九月に奉納された。
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御祭神は、小野篁。ただ明治期に記された『小野路村誌』には、御祭神について『天下春命或ハ小野篁ノ霊』とあるそうで、武蔵国一宮・小野神社との関連もあるのかもしれません。
最寄駅は、小田急小田原線「鶴川」駅。しかし徒歩だと、約1時間ほどかかります。。
神社入口の鳥居。
社標。
拝殿へ続く石段。
手水舎。
さらに一段高いところに拝殿があります。
拝殿。
拝殿前の狛犬。
境内社の天満宮。
こちらが復元・寄進された宮鐘。
MAP
東京都町田市小野路町885