女塚神社

2018.03.10[ 神社 ]

女塚神社

遠い鎌倉時代の恋愛悲話を今に伝える神社 女塚神社

旧女塚村・旧御園村の鎮守として祀られていた八幡さま「女塚神社」。

かつては、現在の蒲田駅付近に鎮座していたと伝わっています。しかし東海道線敷設に伴い1888年(明治21年)に遷座、以降女塚村の鎮守として祀られてきました。

この地はもともと「女塚」(おなづか)があった場所。

南北朝時代、新田義興討伐の命を受けた足利方の竹沢左京亮。彼は元新田義興討の家臣で、一度は寝返った罪を詫び、改めて義興の家臣として(もちろん策略)取り入り、その際に「スパイ」として潜り込ませたのが「少将局」と呼ばれた、京からきた女性。

後に竹沢左京亮は暗殺計画を実行しようとしましたが、これを察知した少将局は義興に宛てて文を送り「夢見が悪いから7日間は外出しないように」と忠告。つまり少将局は義興に加担したんですね。この甲斐あって、この時には新田義興は難を逃れたと云います。しかしこのことによって少将局は竹沢によって殺害されてしまいました(後に「矢口の渡し」において新田義興も殺されてしまいます)。

少将局の亡骸は放置されたそうなのですが、これを村民が憐れみ、丁重に祀ったのが「女塚」だと伝わっています。遠い鎌倉時代(南北朝時代)の恋愛悲話ですね。そんな地に上述の訳あって遷座してきたのがこの神社です。

御祭神は誉田別命。しかしもともと「女塚」があった地だけあって(?)八幡さまと同じ高さに少将局を祀る祠も設けられています。経緯を知ると感慨深いものがありますね。

現在は「蒲田八幡神社」の兼務社となっています。

最寄駅は、JR京浜東北線「蒲田」駅。徒歩5分ほどでしょうか。

拝殿に向かって左手にあるのが「女塚」。拝殿(本殿)と同じ高さ(というか、一段上)にあります。これだけでも、この場所の意義がわかる気がします。

女塚の拝殿と、その手前にそびえる大木。

社標。ここから鳥居までの間は、現在は多くの住宅が建っています。

現在の境内手前から撮影した一枚。

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