野庭神社(横浜市港南区野庭町)
2022.10.09[ 神社 ]
千葉氏の重臣・臼居杢右エ門が創建した蔵王権現が起源
野庭神社(横浜市港南区野庭町)
千葉氏の重臣によって創建された蔵王権現が起源と伝わる「野庭神社(横浜市港南区野庭町)」。
1570年(元亀元年)に、この地を開拓した臼居杢右エ門が、大和国吉野山にある金峯神社(蔵王権現)の御分霊を勧請し創建されたと伝わっています。
『野庭神社「蔵王権現御嶽社」』と書かれた御由緒板には、以下のように記されています。
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元亀元年「一五七〇年」室町幕府の足利将軍義明の時代、野庭郷をいわれた頃、御当地開発者、臼居杢右エ門氏が、大和国吉野山の地主神金峯神社別名蔵王権現社に、勧請して御身体を授り、野庭郷字西ノ町権現山に蔵王権現社として建立されたものと言う。
祭神は日本武尊で有る「一七八九年」寛政元年現在地に移転された。其の後神殿の老朽に伴い、明治三年十月以て造営されて、此の年神祇官により、野庭神社御嶽社の稱号を授けられた。祭神の新たかなることは有名で、爾来御当地の氏神として信仰の中心として今日に至っている。
昭和五十五年 上野庭町内会文化部
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上述の「臼居杢右エ門」は、千葉親胤の重臣だった臼居惣右衛門守胤の息子なのだそう。1540年代に一族・家来を引き連れこの野庭の地に入りました。臼居杢右衛門家は現在も続いているとのことなので、この地で帰農した、ということでしょうか。。
現在の御祭神は、日本武尊命。
現在は日野春日神社の兼務社となっているようです。
最寄駅は、JR根岸線「港南台」駅。私は舞岡方面から宅地造成されたエリアを抜けたどり着いたのですが、この一帯もまた古い時代の風景をそのまま残したような、趣のある場所でした。
神社外観。
正面の鳥居。
御由緒板。
拝殿。
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神奈川県横浜市港南区野庭町1838