馬込西二稲荷神社

2020.02.27[ 神社 ]

馬込西二稲荷神社

旧馬込村に祀られていた二つの神社が合祀されてできた神社 馬込西二稲荷神社

旧馬込村に祀られていた二つの神社が合祀されてできた「馬込西二稲荷神社」。

この地域(現馬込町西二丁目)にはかつてふたつの神社があり、塚越稲荷神社・中丸稲荷神社と呼ばれていました。1945年(昭和20年)に合祀されて現在の「西二稲荷神社」と改称されました。

さらにその後、社地が現在の都営地下鉄の用地となることを受け、現在地に遷座したと云います。

神社頒布の御由緒には、以下のように記されています。

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此の地の稲荷神社は、鎌倉時代、武蔵ノ国荏原郡馬込村の南西に塚越、中丸の二つの字名の地があり、各々に正一位稲荷大明神を祭る祠があった。以来両社は其の地の字に住む農民によってまもられて居た。
昭和の始め、塚越の総代は河原源一、河原半七郎、久保井銀次郎の三氏、中丸の総代は河原定太郎、河原久太郎、河原久輝、河原栄蔵の四氏であった。しかるに昭和八年十月一日、市制がしかれるにあたって両字は合併して、馬込町西二丁目となり、昭和二十一年十一月三日、西二丁目拾番地の塚越稲荷神社、西二丁目五八番地の中丸稲荷神社は合祀されて西二稲荷神社と改称された。
昭和三十八年八月より社地が東京都交通局の地下鉄用地として要請され、昭和三十九年二月の初午祭の際、河原清吉、高橋正夫、両氏の発議により、現在地に映ることを満蒙一致で決議された。同三十九年十月五日、地鎮祭を執行、同月二十六日、上棟式を執行。同十二月二十日、竣工祭を執行す。
御祭神は宇迦魂命で、現在の御神体は元塚越稲荷講の昭和十年二月、初午祭宿高瀬庄蔵氏宅に於いて、此の地に居住していた佐藤清蔵氏、後の玄玄先生より御神体像、御寄進の内意を受け、講中一同して彫刻をお願いした。
しかるに時勢の移りに大きな変化をきたし、第二次世界大戦争のため、戦禍を蒙りて京都に移り住んで居た、玄玄先生より御神体像の製作完成の報を受け昭和三十七年十月七日、西二稲荷神社奉賛会は、代表河原清吉、森市郎、芹沢辰雄の三氏を京都、妙心寺大心院に派遣し、玄玄先生より御寄進された御神体の像を受領し、翌十月八日夜、西二稲荷神社社務所にお迎えし、十月十七日夜御魂遷の祭を執行されたものである。

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御祭神は、宇迦魂命。

最寄駅は、都営地下鉄浅草線「西馬込」駅。徒歩2・3分ほど。

一見、公園のように見える境内。

鳥居が続きます。

拝殿。

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