成宗天祖神社(杉並区成田東)
2024.11.19[ 神社 ]
田端村字関口・中通の鎮守としてお祀りされていた「成宗天祖神社(杉並区成田東)」。
創建年代は定かではありませんが、約600年前の創建ではないかと云われています。明治維新後には田端村字関口・中通の鎮守としてお祀りされていました。その後一村一社政策により田端神社に合祀されましたが、村内に不祥事が続きほどなく還座。現在地には1927年(昭和2年)に現在地にお祀りされるようになりました。
境内にある御由緒板『神社史蹟』には、以下のように記されています。
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当神社は天照皇大神を祀る天祖神社で、旧東田町を氏子とし多くの崇敬者を始め、遠隔の人々の参詣も多く、産土神と世の人に親まれている
当神社に纏る歴史的文献はなく、創立も祥ではないが、その昔約六百年神明社に始まるとも伝えられ、字関口南西の地に創立。
爾来数多時代の変遷を経て、江戸時代には、伊勢参り多く、帰りて額を納め、無病息災、五穀豊穣を祈願したと云う。
明治元年新政によって、字関口・中通(旧東田町)村の奉持する処となった。
この頃僅か二十数戸に過ぎない農村と伝えている。
明治三十九年神社併合が奨励されるに至り、同四十二年十月村内三社と共に、田端村(本村)北野神社に合祀し田端神社と改む。
其の後数年を経ず村内に不祥事相継ぎ、再び村の一角に、御霊を祀ることになった。
年代の推移と共に地名も改められ、昭和二年此の社地の寄進によって同年九月神殿を流造に新築、御神体を移し奉安し祀る。以来、東田町内社と呼稱す。
合祀当時、寄贈せる、江戸時代を始め幾多の奉納額は、色褪せ氏名の判読もできないものもあり、今も尚昔の歴史を偲ばせている。
当神社の例祭は、田端神社に準じ、毎年九月十二日多くの崇敬者を迎え、厳に祭典の式が行われる。
因に田端神社は、昭和十三年五月、村社に列し、例祭は翌十三日多くの参詣者を始め数多崇敬者によって、厳粛な大祭の儀が執り行われている。
平成八年吉月 内社社務所
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御祭神は、天照皇大神。
上記の通り、現在は田端神社の内社となっているようです。
最寄駅は、東京メトロ丸ノ内線「南阿佐ケ谷」駅。
神社外観。
正面から。
境内の眺め。広角にて撮影。
社殿。
御由緒板。
社殿の扁額。
MAP
東京都杉並区成田東4丁目24−1