五柱五成神社(中野区本町)

2024.09.16[ 神社 ]

江戸時代後期に勧請されたお稲荷さまが起源 五柱五成神社(中野区本町)

江戸時代後期に勧請されたお稲荷さまが起源と伝わる「五柱五成神社(中野区本町)」。「ごしゃいなりじんじゃ」と読みます。

1823年(文政6年)に、槙屋平兵衛が京の伏見稲荷大社の一之宮末広大神の御分霊を勧請し創建されたと伝わっています。その後、解脱会の開祖・岡野聖憲によって「天國蔵五柱五成大神」と名付けられ今日に至っているようです。

境内に掲げられている御由緒板には、以下のように記されています。

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当社の御祭神槙屋末広稲荷様は、文政六年(一八二三年)四月槙屋平兵衛京都伏見稲荷大社一之宮末広大神の御分霊を勧請せられたものであります。降って昭和五年、宗教法人解脱会開祖岡野聖憲師(御遷化後解脱金剛の諡号を賜り、御皇室の菩提寺である京都東山の御寺泉涌寺に御分霊が安置されております)が当地に御巡錫の折末広稲荷様の極めて高い御神徳を感ぜられ「この稲荷は単に一族一門の守護神としておくべきでない、広く世の人々にその御神徳を分つべきである」と申されて新たに衣・食・住一切を司る稲荷の大祖神として頭書の五柱の神々を天國蔵五柱五成大神と名付け奉り、併せて他の神々も同時に斎祀されたものであります。
又当社は「日限りのいなり」と呼ばれ、お願いごとはすべて七日間或いは二十一日間というように日限りで毎日お願いし、大願成就には必ず五色のお旗をあげるように定め伝えられております。

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御祭神は、(本殿中央に)天園五柱五成大神・天日瑞穂造美尊・天豊穀食類姫命・天豊宇気比姫命・天太田地土命・天大市比売尊・(向かって右に)槇屋末廣稲荷大明神・(向かって左に)天五色大天空大神。

最寄駅は、東京メトロ丸ノ内線「新中野」駅。

右側にあるのが、五柱五成神社。

左側にあるのが、境内社の天五色辨財天社。

御由緒板。

境内左側にある石碑群。

境内社の阿波屋稲荷。

眷属社。お狐様がいっぱい。

こちらは五柱五成神社の社殿前のお狐様。

MAP

東京都中野区本町4丁目30−26

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