神明大神(中丸子神社)

2020.04.30[ 神社 ]

神明大神(中丸子神社)

中丸子村の鎮守として創建された神社 神明大神(中丸子神社)

出羽国より羽黒権現の御分霊を勧請し中丸子村の鎮守として創建された「神明大神(中丸子神社)」。

16世紀末の天正年間に、出羽国・羽黒権現の御分霊を勧請し創建されたと伝わっています。時は下り明治期に神明大神と改称、合わせて御祭神も稲田姫命になったそうです。

境内に掲げられている御由緒には、以下のように記されています。

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古くこの地は武州武蔵国橘樹郡中丸子村と呼ばれ天正年間(西一五七三ー九一)ここに在住す農耕者は七苗を宗家とする一族であり極めて小さな村落であった。この人達は五穀の豊饒と疫病よりの済度を祈願するため出羽の国羽黒権現を勧請して中丸子村の鎮守社羽黒大権現宮と称する一宇のお宮を造立して祭祀を行ってきた。このお宮の本地仏は薬師如来でありすべての病を除き特に眼病平癒の霊験は灼で江戸や近国の者来詣し様々の立願が叶いご利益の程は数多の人の知るところである。
明暦二年(西一六五六)当時の領主幕臣本郷勝右ヱ門源重泰と本郷勝三郎源長泰によって本殿及拝殿が造立された。この建物はとち葺こけら葺色々の彫物などを配し立派なものであった、境内には他に日光月光神明稲荷座王文朱弁財天天満宮本地宮御幣堂の末社があった。明治四年に羽黒大権現宮を羽黒神社に更に明治三十四年には神明大神と改称し祭神を稲田姫命とした。この際総ての末社を本社に合祀した。大正十一年には神饌幣帛料を供進される村社となった。現在の社殿は昭和八年に改築され本殿は明暦時のものをそのまま残し拝殿は新築したものである。昭和二十八年宗教法人神明大神として認証を受け今日まで祭祀を行っている。その昔より当社の年次大祭は穀物の収穫期の十月八日で夏祭と呼ばれる水神祭は五月八日であった。尚一月七日には村中の邪気を払い平穏を祈り五穀の豊饒を祈願する「おびしゃ」と称する大〆縄縒り行事がある。
神木の大欅は「おしゃもじ」と呼び六百有余年の年輪を重ねた鎮守の象徴である。

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神奈川県神社町サイトによると、御祭神は、天照皇大神・稲田姫命となっています。

現在は平間にある八幡大神の兼務社となっているようです。

最寄駅は、JR南武線「向河原」駅。

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