諏訪社(川崎市多摩区長沢)
2022.03.09[ 神社 ]
稲毛三郎により創建されたと伝わる「諏訪社(川崎市多摩区長沢)」。
1187年(文治3年)、源頼朝の命を受けた稲毛三郎(小山田重成)によって諏訪大社の御分霊を勧請し創建されたと伝わっています。
境内にある御由緒板には、以下のように記されています。
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諏訪社は文治三年(一一八七年)九月七日右大将源頼朝の命により稲毛三郎重成の創祀とされています 稲毛三郎重成の居城枡形山の西方にある高燥の地に諏訪社を造り、信濃国諏訪大社の御分霊を勧請し永くこの地の鎮護をなしています
後の明治四十三年十月七日に神明社と日枝社が当社と合併し合祀されました
神明社 祭神 天照大神
日枝社 祭神 大己貴命
現在の社殿は明治二年八月建立の社殿が老朽化した為、氏子総意によって昭和五十二年(一九七七年)四月再建されたものです
この社殿内には小野子町が舟上より短冊を海に流している額が掛けられており、里人はこれを「雨乞いの額」と呼んでいます
当社では雨乞いの神事もおこなわれてきました 日照りが長く続く際には、氏子代表が大山の阿夫利神社に詣で、持ち帰った水を当社に奉納し、境内で待っていた氏子全員で雨乞いの祈願をしました
また、当社は無病息災・心願成就の神社と伝えられ、社頭に供えられた小石を祈願の主は謹んで戴き帰り、その後病苦災難が免じられ心願成就の上は更に新たな小石一個を添えた計二個を戻し、報謝する習わしがあります
尚、諏訪社の特徴の一つである参道や境内の豊かな樹木は室町時代(一五三〇年頃)に戦乱や風雨にさらされた社殿を改造したおり、杉や松などの樹木を植え、厚く祭祀を行ったのが現在でも伝統として残っています
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上記の「小石を供える」お話は、神社頒布の『今に伝承されている護石について』では以下のように記しています。
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御護石と疫病除去について
当社は古くから疫病除けと護石受授の言い伝えがある。且て徳川時代神仏混仰の習ひとして当社も僧侶を以って祭事を行っていた。拝殿建設の翌天保14年護摩壇を作り毎年護摩修行することにしたが其の翌年疫病大いに流行するところとなり氏子60余名中、57名が死亡したと云う。この時氏子等憶へらく我が諏訪大神は日本第一軍人と神国鎮護の神明なり。然るに異国より到来の仏教により護摩を焚は大神の神慮に適はざるべしと信じ護摩壇を撤廃せしに疫病は以後全治せりと、この頃より当社は無病息災、心願成就の霊顕浄かの大神と伝えられ護石を供えて人々の信仰に応えるようになった
即ち社頭に清浄なる小石を供え氏子は勿論近郷信者の祈願に沿うようになった。祈願の主はこの小石を謹んで戴き帰り、その後夫々の疫病災難が免じられ、必願成就の上は更に新たな小石一個を添えて報謝する習わしである。
この習慣は今でも行われて居り、何等広報の手段を尽くさずとも極めて広い地域よりの参拝者が絶えない所以である。
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何だかいろいろなお話が混ざっているような気がしますが。。
主祭神は、建御名方命。配祀神として、天照大神・大己貴命。
現在は、登戸稲荷社の兼務社となっているようです。
最寄駅は、小田急小田原線「生田」駅。徒歩25〜30分ほど。
神社入口。
一ノ鳥居と狛犬。この先、長〜い参道を進んでいきます。
ニノ鳥居。拝殿はまだまだ先です。
参道の終わる場所で、二対の狛犬がお出迎え。
拝殿。
拝殿横の御由緒板。
境内の石碑群。
リンク
MAP
神奈川県川崎市多摩区長沢4丁目7−1