元町嚴島神社
2018.12.22[ 神社 ]
鎌倉時代初期に源頼朝が創建した「洲干弁天社」が起源
元町嚴島神社
源頼朝が創建した弁財天が起源の「元町嚴島神社」。
1180年、源頼朝が挙兵にあたり、西伊豆・土肥の杉山にあった弁財天に戦勝を祈願したと云われています。そして平家を滅ぼした後に、茗荷島劔ヶ淵(現在の弁天橋東側付近)に社殿を造営し、伊豆より弁財天を勧請し「洲干弁天社」を創建しました。境内に清水の湧水が出ていたことから「清水弁天」とも呼ばれていたそうです。源頼朝の命により鎌倉の鬼門鎮護のために祀られた「七杉山弁天(七杉山神社とも)」のひとつと思われます。
そして16世紀末に石川郷が横濱村・堀之内村・中村に分村され、横濱村の鎮守となったことから、江戸時代には「横濱弁天社」と呼ばれるようになりました。
江戸時代に別当となった増徳院が、境内に仮社殿を造り、御神体をこちらに奉斎、「上之宮杉山弁天」と称するようになりました。横濱弁天社は「下之宮清水弁天」として、祭日はこちらに御神体をお祀りしていたと伝わっています。明治元年に「清水弁天」は羽衣町へ遷座(現在の羽衣町厳島神社)、また神仏分離により「杉山弁天」は「嚴島神社」(現在の元町嚴島神社)として分離独立することになりました。
関東大震災によって焼失した後、現在地へ遷座。また先の戦災でも社殿を焼失しましたが、戦後に再建されました。
御祭神は、市杵島姫命・多岐理姫命・多岐都姫命。
現在は「横濱開港神社巡り」のひとつになっています。
最寄駅は、JR根岸線「石川町」駅。徒歩3分ほど。
大鳥居。元町の商店街から少し入ったところにあります。
石段を登った先に、拝殿があります。
拝殿。
境内社の皇大神宮(右)と金刀比羅宮(左)。
御由緒の書かれた掲示板。