三輪厳嶋神社

2020.04.18[ 神社 ]

源義経と浅草海苔の逸話を今に伝える神社 三輪厳嶋神社

第六天社と厳島大神が合祀されてできた「三輪厳嶋神社」。

江戸時代初期に創建された第六天社と、源義経が命を救われた白蛇伝説の伝わる厳島神社が1928年(昭和3年)に合祀され、「三輪厳嶋神社」となりました。

境内にある「厳島神社由来」御由緒板には、以下のように記されています。

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大森海苔の守護神として古来より伝わる

かしこくも、当社の祭神は素盞嗚尊の御女市杵嶋姫命にまします。謹みて創立の起源を神記口碑に因り案ずるに。安徳帝治承四年(紀元千壱百八拾年)源義経は武蔵坊弁慶・伊勢三郎・駿河治郎等の郎徒を具し、東海道玉川の渡しを過ぎけるが、頃しも二百十日の厄日にて南西の風吹き荒び、舟は見る見る押し流され大森下に漂えば一同安き心なく、波方を望むれば小高き社見えしかわ、これ神のおはします処と其の方に向い海上平穏を念じければ、不思議や風やみ浪治まりぬ。義経霊に感じ、舟を瀬島につけ、葭をなぎ葦を分けて彼方の森を尋ぬれば、ささやかなる社の縁に白蛇顕われいたり。これ神の使ひなめならぬ。かしこし、厳島大神我等が運を守らせ給ひしことよと、里人に語らい改めて森を拓き神殿を修理し、また船をとどめし処に注連竹を建て給う。是れ当社創立、起立の起源にして今を去ること八百年に及ぶ。
是れより里人等神徳を尊ぶこと愈々深く、海面守護の神として毎年正月十一日水神を祀りしが、ある年海面に建てし注連竹に黒き苔生じければ、人々怪しみてこれを採り嗜めけるに味あり。生酢干かにして食せば殊に風味よし翌年其の頃を計りて木枝多く建てけるに、またまた苔の生じければ種々製造法を考え遂に現今の如き乾海苔に製し年と共に製造するもの多し、海の苔即ち「のり」と称し鎌倉将軍に献上の栄を担い、江戸幕府開かるるに及び毎年将軍家に献上し、維新の際まで変わることなかりしは人の皆知る処なり。
嗚呼、大森の名産とし名誉海外にたかき海苔の濫觴たる如斯にして、如何に我が厳島大神の海面御守護の御神徳高きか、かしこくも尊きことにこそ。

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この「厳島神社」は、現在三輪厳嶋神社の社務所がある場所に鎮座していたそうですが、昭和初期に現在地にもともと鎮座していた「三輪神社」に合祀されました。この「三輪神社」は、江戸時代初期に創建され当時は「第六天社」と呼ばれており、明治期に「三輪神社」に改称され、明治後期には近隣に鎮座していた「白山神社」を合祀しています。

上記の経緯により、現在の御祭神は、大国主命・伊弉冉尊・市杵島姫命。

ちなみに「厳島神社由来」の中に出てくる「大森海苔」とは、「浅草海苔」のこと。この地域で採れた海苔が浅草の問屋を通して流通したために、一般には「浅草海苔」と呼ばれるようになったのだそうです。

最寄駅は、京浜急行本線「梅屋敷」駅。徒歩10分ほど。

大通り(産業道路)側にも鳥居がありますが、おそらくはこちらが本来の「入口」。

拝殿前の鳥居。

御由緒板。

境内社の銭洗弁財天社。

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