御嶽神社(大田区北嶺町)

2020.02.20[ 神社 ]

御嶽神社(大田区北嶺町)

木曽御嶽山信仰の関東第一分社として篤く信仰されているお社 御嶽神社(大田区北嶺町)

木曽御嶽山信仰の関東第一分社として篤く信仰されている「御嶽神社(大田区北嶺町)」。

創建は1535年(天文4年)頃と云われています。その後江戸時代後期に木曽御嶽山で修行を行った一山行者がこの地を訪れ庵を構え、以来御嶽山信仰の拠点として定着したと伝わっています。『嶺の御嶽神社に三度参拝すれば、木曾御嶽山へ一回行ったのと同じ』と云われるほど、隆盛していたそうです。

御祭神は、国常立命・国狭槌命・豊雲野尊。

最寄駅は、東急池上線「御嶽山」駅。駅名の由来は、もちろんこちらの神社があることによるもの。

鳥居と社標。

拝殿の扁額。御嶽山の三柱の神を表しているのだと思われます。

狛犬は、やはりお犬様(日本狼)ですよね。

境内にある一山神社。御由緒には、以下のように記されています。

==========

一山霊神事績

この一山神社の御祭神は一山(イッサン)霊神。俗名は治兵衛。神奈川県津久井村の出身で、埼玉県与野に移り井原家に婿入りしたが、「下化衆生」の本願を叶えようと井原家を離れて同地の円乗院で僧となる。仏門修行の後諸国を行脚し三峰の修験道の道場を訪れ、また覚円峯に行き仙峨の滝で心身を清め、木曾駒ヶ岳を経て木曾の御嶽に入った。一山行者は大滝口より清滝に至り、柴の庵を結び不動滝で寒三十日の水行などをした。ある夜ふと夢を見た。御嶽三社の大神達が現れて「早々下山し世間大衆の苦悩を救え、幸い汝に因縁の地あり、都を去る三里。」と述べた。一山行者は山を降り江戸へ向かう。そして御嶽の神々の教えを広めながら近郷近在を歩いているうちに、武州荏原郡嶺村に来て、御嶽の小社を発見「これぞ木曾御嶽の大神に示現したところ…」とこの地に庵を結ぶ。付近の人は一山行者を「偉い行者」と崇め信者も増え、進徳講話、参詣聴聞などを行い確固たる地盤を築くに至った。天保二年(一八三一)社殿を新築し、布教怠を続けたが、嘉永四年(一八五ー)十二月二十日、神田見富家の隠宅で没す。行年は定かでない。

<一山御歌>
無の上に 浮きて楽しむ心こそ 誠の道の宝なりけり

==========

境内社の大鳥神社。

「霊神の杜・霊神碑」。多くの石碑がここに集められています。

MAP

特集

閲覧ランキング

モバイルバージョンを終了