源為朝之廟社(横浜市港南区上大岡東)
2022.10.05[ 神社 ]
源為朝が隠れ住んでいたと伝わる里にある石宮
源為朝之廟社(横浜市港南区上大岡東)
「鎮西八郎」こと源為朝が隠れ住んでいたと伝わる里にある「源為朝之廟社(横浜市港南区上大岡東)」。
源為朝は、源為義の八男として生まれ、保元の乱の際には崇徳上皇方として戦った平安時代末期の源氏の武将。「剛勇無双」と謳われ、こと「武勇」に関しては源氏で(つまりは武士で)一番と思われる人物です。
その彼が保元の乱後、隠れ住んでいたと伝わるのが現在の横浜市・上大岡。かつて「八郎ケ谷」と呼ばれた場所にこの祠があります。
覆屋の中に置かれていた案内板には、以下のように記されています。
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この「源為朝の祠」の石碑には
源為朝霊神鎮座
と刻まれています。
源為朝は源為義の8番目の子で、鎮西八郎と呼ばれていました。
1156年の保元の乱で父とともに崇徳上皇に味方して戦い、敗れた為に落人となり、この地に隠れ住んだと言われています。逃れたが後に捕まり、自慢の弓を射ることが出来ないよう左腕の筋を抜かれ伊豆大島に流されたという説があります。
琉球の正史である「中山世鑑」には源為朝は琉球(沖縄)へ逃れ、その子が琉球王朝の始祖とされる舜天になったとされています。
設置 港南区食生活等改善推進委員会
平成26年4月
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今も4月25日(源為朝の命日でしょうか)には近隣の人々によって供養が行われているそうです。なお、私がお詣りした日にも、近所の方(と思われる若い方)が祠にお清めの水をかけていました。
最寄駅は、京浜急行本線・横浜市営地下鉄ブルーライン「上大岡」駅。徒歩約5分ほど。
MAP
神奈川県横浜市港南区上大岡東1丁目7