南蒲田北野神社
2020.07.01[ 神社 ]
邸内社の諏訪社に、七度も流れてきた御神体を合祀した神社
南蒲田北野神社
邸内社の諏訪社に、七度も流れてきた御神体を合祀した「南蒲田北野神社」。
この地には、江戸時代に北蒲田村の名主だった杉原重右衛門の邸内社として諏訪社が祀られていました。しかし呑川の洪水により再三(呑川上流にある)谷口村の天満社の御神体が流されてきたと云います。そして1849年に諏訪社の傍らにその御神体を祀るようになり、明治期に諏訪社と合祀し「北野神社」と改称されたそうです。
蒲田八幡神社ホームページ内「北野神社」のご由緒には、以下のように記されています。
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寛文元年(1661年)に杉原重右衛門の邸宅に諏訪神社を奉斎しました。呑川の洪水によって、池上の麓の天神山の森から、矢口村に祀られる天神様の御神体は度々流されて、北蒲田新宿南の杉原重右衛門宅前に留まることが再三にわたり、その都度天神森にお返ししましたが、七度目にいたり、嘉永2年(1849年)矢口村と交渉して、当地杉原家地内諏訪神社の傍らに社を建てて安置しました。
明治年中、諏訪神社と合祀して北野神社と総称することになりました。境内は杉原家より奉納されました。昔は呑川の北側にありましたが、改修工事によって現在の様に南側となりました。
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実際、明治中期頃の地図を見ると、呑川は神社の南側を流れていたことがわかります。
御祭神は、菅原道真公・建御名方命。
現在は蒲田八幡神社の兼務社となっています。
最寄駅は、京浜急行本線「京急蒲田」駅。徒歩3・4分ほど。
呑川に架かる天神橋からの眺め。
洪水対策で橋が高い場所に架かっているため、石段を降りて境内に入ります。
御由緒の刻まれた石碑。
境内。
拝殿。
境内社の稲荷社。