増威八幡社(横浜市戸塚区秋葉町)

2025.08.13[ 神社 ]

増威八幡社(横浜市戸塚区秋葉町)

8世紀前半の創建と伝わる八幡社 増威八幡社(横浜市戸塚区秋葉町)

8世紀前半の創建と伝わる古社「増威八幡社(横浜市戸塚区秋葉町)」。

729年(天平元年)に創建されたと伝わっています。南関東圏では、八幡信仰は源氏をはじめとする武士の活躍に依るところが大きいように思いますが、石清水八幡宮より早い(以下の御由緒参照)創建とは、驚きです。

入口にある御由緒板には、由緒について以下のように記されています。

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当神社の創建は古く規模は大きかった。

一、
創建は天平元年六月十五日(紀元一、三八九 西暦七二九)宇佐八幡宮創建の四年後であり、石清水八幡宮の百三十一年前である。中川、川上地区内の神社としては最も古い。

二、
祭神は品陀別命のほか 天照大神、天兒屋根命を含む八柱であった。之は純朴な崇敬の表れと言へよう。

三、
被災二回の都度 御神体は 海から出現し給うたとの傳承は海が遠い現在では分りにくいところであるが、最近三十年間の土木工事中に鎮座地周辺は深い入江であったことが、二ヶ所に於て實證された。

四、
ゆかりの土地は その昔「秋庭の里」と云い 神楽畑が鎮座地に隣接するほか 鳥居跡の「鳥居戸」、祭禮競馬の「馬場谷」神主横山志摩守の居住地「殿屋敷」が柏尾町に在り 祭禮市の「市場谷」が上柏尾に在る。

五、
増威八幡は 源義家東征の折 当社に立寄られ神社名を問はれた神職が自分の名前(増井)を答へたところ「威を増すとは幸先が良い」と喜んだと傳へ現用の社號額(明治期の物と判定)は「増威社」である。

特殊神饌としては「十二味供饌」があり山菜、野菜の十二種を叮寧に盛り合せる。尚、当神社には次の俗稱がある。毎年 祭禮には、小麦の神饌を現用しているので小麦八幡とも言う。

平成十年 七月二十五日

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御祭神は、品陀別命・足仲彦命・息長足姫命・大日霊貴神・日本武命・難浪皇子・武内宿禰命・天児屋根命。御由緒板には「品陀別命」のみ記載されています。

現在は中村八幡宮の兼務社となっているようです。

最寄駅は、JR横須賀線「東戸塚」駅。徒歩だと約25〜30分ほどでしょうか。

入口の鳥居。

入口にある御由緒板。

短い石段を登ったところ。右には長蔵寺、左には秋葉幼稚園。その間に、さらに上へと続く石段が見えます。

石段の上に、社殿が見えます。

石段の途中にある道祖神。覆屋の中にはお地蔵様が安置されていました。

石段を登ったところ。拝殿はさらに一段高くなったところにあります。

拝殿の扁額。

境内社の正一位瑞穂稲荷大明神。

境内社の弁財天。

MAP

横浜市戸塚区秋葉町343

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