蒔田杉山神社
2019.01.03[ 神社 ]
鎌倉の鬼門鎮護のために祀られた「七杉山弁天」のひとつと伝わる「蒔田杉山神社」。
神社頒布の「参拝の栞」によると、もともとは「杉山弁財天」と称していたとあり、「杉山弁財天略縁起」によると『もとは豆州土肥の杉山に鎮座ましましける所、治承4年8月源頼朝公義兵を挙げ給ふみぎり、深く御祈願ありけるに、霊験著しければ、四海一統の後、其の冥加に報謝成し給わんとして(中略)彼地の尊体を遷し勧請し給ふが故に、杉山弁財天と号し奉る』とあります。続く「由緒沿革」には、『承元3年源頼朝の三男貞暁法印(俗に鎌倉法印という)が、鎌倉幕府の鬼門鎮護のため伊豆国土肥の杉山から勧請し市杵島姫命を鎮座創建』とあります。いわゆる「源頼朝が鎌倉の鬼門鎮護のために祀った七杉山弁天(七杉山神社)」のひとつと思われます。
御朱印をいただいた際に神社の方に「伊豆国土肥の杉山」についてお伺いしたのですが、神社としても調べたが現在は残っていないらしく不明、とのことでした。ネットでは「伊豆国土肥」ではなく「相模国土肥」という説もあるようですが、(その件は尋ねませんでしたが)わざわざ西伊豆の土肥にまで行って調べたそうですから、少なくともこちらの神社に関しては「伊豆国土肥」が正しい情報なのかと思われます。
源頼朝は石橋山の戦いで敗れた後、頼朝一行は相模国土肥郷(現在の神奈川県湯河原町)にて大庭景親・梶原景時と遭遇、しかしこの時(敵方だった)梶原景時の機転により文字通り「九死に一生」を得たという逸話があります。こういった経緯からも「豆州土肥」ではなく「相模国土肥郷」ではないかというのは、あながち「間違い」ではないのかもしれません。この辺りは、他の「七社弁天(七杉山神社)」の御由緒とも合わせて後々考えてみたいと思います。
御祭神は、市杵島姫命・天照皇大神・宇賀御魂命。相殿に、木花開耶姫命。照皇大神と宇賀御魂命は、明治期に大神宮社と稲荷神社を合祀したことによるもの。
最寄駅は、横浜市営地下鉄ブルーライン「蒔田」駅。駅からすぐ。