久我山稲荷神社(杉並区久我山)

2025.04.28[ 神社 ]

旧久ヶ山村の鎮守神 久我山稲荷神社(杉並区久我山)

江戸時代には久ヶ山村の鎮守としてお祀りされていた「久我山稲荷神社(杉並区久我山)」。

創建年代は不明ですが、「新編武蔵風土記稿」に記載があり、旧久ヶ山村の鎮守としてお祀りされていたと記されています。明治期には村内の天祖神社が合祀されました。

杉並区による案内板『久我山稲荷神社』には、以下のように記されています。

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久我山稲荷神社は、「新編武蔵風土記稿」の多摩郡久ヶ山村の条に稲荷社として掲載され、「除地二段五畝十五歩 堂屋舗ニアリ 小社ニテ上屋九尺ニ二間 拝殿二間ニ三間 南向 前ニ鳥居ヲ立ツ 石階鳥居ノ外ニ三級内ニ二十級アリ 村ノ鎮守 例祭十一月ニテ日定ラズ 光明寺ノ持」と記されています。創建の由来については明らかではありませんが、古来から久我山村の鎮守で、祭神は保食命です。
明治40(1907)年4月に字北原にあった天祖神社(祭神大日孁貴命)が合祀され、昭和16(1941)年2月に村社となりました。境内末社には八雲神社・天満天神社があります。
例祭日は10月1日ですが、本社では、7月24日に夏祭りが行われ、「湯の花神楽」が奉納されます。湯の花神楽は、大釜に熱湯を沸かし、小笹を浸して打ち振りながら行われます。杉並区内では極めて珍しい行事で、その昔、この地に疫病が流行した際、村人が神楽を奉納し、祈願したところ、疫病が止んだという故事によるものです。
境内には明治 32(1899)年に氏子が奉納した、金玉均(日本に亡命した朝鮮の李王朝末の政治家)の筆跡を刻んだ「人心同」の碑があります。金玉均は、久我山に生まれて幼くして小笠原にわたり、砂糖王と呼ばれた飯田作右衛門から、「遠く離れている父に朝夕仕えることもできず、心で思うばかりである。せめて父の住むところに自分の不孝をわびる石碑を建ててくれ」と頼まれ、その心根に強く打たれてこの筆跡を残しました。
なお、境内には元禄16(1703)年造立の庚申塔があります。かつて村人がこの庚申様に砧の槌を納めて養蚕の無事を祈願したと言い伝えられています。
また、昭和57(1982)年に新築された「額堂付神楽殿」には多数の絵馬が保存されています。

令和6年3月
杉並区教育委員会

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御祭神は、保食命。

現在は下高井戸八幡神社の兼務社となっているようです。

最寄駅は、京王電鉄井の頭線「久我山」駅。徒歩約5・6分ほど。

西側にある正面の鳥居と社標。石段を登ったところには丹塗りの鳥居があります。

石段を登った先の境内の眺め。

拝殿。

拝殿前のお狐様。

境内社の八雲社と天満社。

杉並区教育委員会のよる案内板。

境内の様子。

MAP

東京都杉並区久我山3丁目37−14

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