ハダカ稲荷祠(杉並区久我山)

2025.04.24[ 神社 ]

ハダカ稲荷祠(杉並区久我山)

人見街道沿いにお祀りされている小祠 ハダカ稲荷祠(杉並区久我山)

人見街道沿いにお祀りされている小祠「ハダカ稲荷祠(杉並区久我山)」。

杉並区が運営しているウェブサイト『すぎなみ学俱楽部』内に、この祠について触れられている箇所がありました。

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人見街道に出ると、「はだか稲荷」という面白い名前の小さな社(やしろ)があった。この辺りには多くの秦(はた)氏が住んでおり、秦家(はたけ)がなまって「はだか」になった説や、社の周辺が畑で木がなかったことから「裸稲荷」となったという言い伝えがあるそうだ。

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(以上、『すぎなみ学俱楽部』より一部抜粋)

人見街道は、武蔵国の国府(府中)から下総方面(方角的に南関東の東方面)へと向かう古道で、江戸時代の甲州街道整備後も脇往還として利用されていたと云います。祠のそば(通りの反対側)にある、杉並区教育委員会による案内板『人見街道』には、以下のように記されています。

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浜田山駅北側の、井の頭通りの分岐を起点に高井戸東・高井戸西・久我山を通って府中市若松町の新小金井街道に接する都道14号及び110号は人見街道と呼ばれています。総延長は約12キロメートルで区内延長は約3.3キロメートルです。
古くは久我山街道や府中道などと呼ばれた区内の古道の一つで、武蔵国府府中(現・府中市)から大宮(現・さいたま市)に行く大宮街道、下総の国府(現・市川市)へ通ずる下総街道の道筋であったといわれ、近世以前は東西を結ぶ重要な道路であったと考えられています。近くの久我山五丁目9番の辻にある 享保7(1722)年銘の石塔(杉並区登録有形文化財)には「これよりみぎいのかしら三ち」「これよりひだりふちう三ち」とあり、近世には井の頭や府中への道として利用されていたこともわかります。昭和の初めに、久我山駅辺の直線化や拡幅などの改修が行われ、昭和 59(1984)年4月には府中のかつての人見村(現・府中市若松町)を通ることから東京都通称道路名として「人見街道」と名付けられ今日に至っています。
現・人見街道とは別に、久我山一丁目と世田谷区との境界道路も以前は人見街道、或いはやまん街道と呼ばれ、甲州街道の脇街道であったといわれています。
現在の人見街道筋には、東京都の天然記念物である横倉邸のケヤキ並木を始め、古刹松林寺、大熊稲荷神社、庚申塔などの文化財が点在し、その歴史の古さを物語っています。

令和6年3月
杉並区教育委員会

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最寄駅は、京王電鉄井の頭線「富士見ヶ丘」駅。

外観。

地面はシートで覆われています。砂埃の防止用だと思いますが、最近よく見かける気がします。

社殿。

交差点を挟んで対面にある人見街道の案内板。

MAP

東京都杉並区久我山5丁目27−3

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