雉子神社

2019.08.31[ 神社 ]

雉子神社

徳川家光によって「雉子宮」と命名されたお社 雉子神社

徳川家光によって「雉子宮」と命名された逸話の伝わる、五反田の鎮守神「雉子神社」。

創建年代は、社伝では「景行天皇の御代」に日本武尊を祀ったのが起源だと云います。その後天智天皇の御代に天手力雄命、鎌倉時代に大山祇命を祀り、「荏原宮」と称していたと伝えています。しかし『新編武蔵風土記稿』では、文明年間(1469年〜1487年)に、村民の見た霊夢により、この地に飛来し死んだ白雉を埋め、その場所に社をつくり大鳥明神を祀ったのが起源と伝えています。

境内に掲げられている「御由緒」には、以下のように記されています。

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当社鎮座の起源は古く、御社号は元荏原宮、文明年中には大鳥明神、山神社とも称して居りましたが慶長年間に徳川三代将軍家光公が鷹狩りの折に、一羽の白雉が社地に飛び入ったのを稀な目出度いしるしであるとして、雉子宮と名附けられて、江戸の社寺名所にその名を連らね、明治維新に雉子神社と改められて現在に及んでいます。
当社は武蔵国荏原郡上大崎村、下大崎村、谷山村、永峰町、六軒茶屋町、現在の品川区上大崎東五反田の全域と、西五反田三丁目一圓の氏神鎮守であります。
神域は昔から現在の処で、社前の中原街道(国道一号線)が明治三十八年以来三度横幅改修されて、次第に狭隘となりました。
明治以前は白雉山宝塔寺が別当職でありました。明治五年村社と定められ、明治四十三年上大崎村に鎮座の三島神社を合祀して現在に及んでいます。

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現在の御祭神は、日本武尊・天手力雄命・大山祗命。

最寄駅は、JR山手線・都営地下鉄浅草線・東急池上線「五反田」駅。徒歩5分ほど。

大鳥居。左に見えるのは、中原街道。

鳥居をくぐり、参道の石段をビルに向かって進むます。

現在はビルの1階に組み込まれています。東京ならではの(?)光景と言えるのかもしれません。

巨石に組み込まれた御由緒板。

境内社の三柱神社。

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