上高田氷川神社(中野区上高田)

2024.12.05[ 神社 ]

旧上高田村の鎮守神 上高田氷川神社(中野区上高田)

室町時代創建・旧上高田村の鎮守「上高田氷川神社(中野区上高田)」。

室町時代の1453年(享徳2年)、武蔵国一の宮氷川神社より御分霊を勧請し創建されたと伝わっています。江戸時代には上高田村の鎮守としてお祀りされていました。

境内にある御由緒板の「由緒」には、以下のように記されています。

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当、永川神社は上高田一円の鎮守として享徳二年(一四五三)素戔嗚尊の御神徳を慕う土地の人々が、武蔵国一の宮氷川神社より御神霊を勧請し、お社を建てたのを嚆矢といたします。長禄年間(一四五七〜六〇)太田道灌は、しばしば当社に詣で、松一株を植栽したと伝えられております。この松は目の高さ幹回り約四mの御神木となり大切に保護されておりましたが、昭和一二年(一九三七)枯木となりました。また、正保年間.(一六四四〜四八)に代官野村彦太夫為重が社殿の修復をしたと江戸時代『武蔵風土記』に記されております。古老の記憶によれば、大正初期(一九ーニ〜二〇)本殿の規模は一間四方にて覆屋の下にあったとの事であります。当時氏子は一〇〇戸、境内地の面積は四七〇㎡(一四二坪)の小規模な神社でありましたが、大正十一年(一九二二)氏子より土地の寄進を受け、境内地を広げ現在の形態へと発展いたしました。大正十二年(一九二三)に至り社殿新築の計画が立案され、直ちに着工、大正十五年十月(一九二六) 遷座祭が執り行なわれ、今日の水川神社の姿がほぼ完成いたしました。また昭和十年以降、手水舎、鳥居、石燈籠、天水盤、狛犬等の奉献がありました。当神社は不幸な太平洋戦争による戦禍はまぬかれたものの、戦後の混乱の中にあって境内の整備はゆきとどかぬままでありました。幸い敬神の念厚い氏子により昭和二十九年(一九五四)には神楽殿が新築され、以後大祭の復活など各種の復興整備が進められました。昭和六十三年(一九八八)に宿願の社務所が完成し、上高田一円の鎮守として神威をととえるに及んでおります。

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御祭神は、素戔鳴尊。

最寄駅は、西武新宿線「新井薬師前」駅。

神社外観。

階段を上がったところからの眺め。拝殿はさらに一段上にあります。

御由緒板。

拝殿。

境内社。

MAP

東京都中野区上高田4丁目42−1

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