梶原稲荷神社
2020.03.19[ 神社 ]
梶原景時が勧請・創建したと伝わる「梶原稲荷神社」。
1192年(建久3年)に梶原景時が、源頼朝の命を受けて建立した萬福寺の境内に、寺の鎮守として奉斎したのが起源と伝わっています。
境内にある御由緒板には、以下のように記されています。
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今ヲ距タル七百七十二年前(建久三年)梶原兵三景時、征夷大将軍源頼朝ノ命ヲ奉ジテ 武蔵国大井村鹿島谷ニ萬福寺ヲ建立シ、ソノ境内ニ守護神トシテ稲荷ヲ勧請シテ梶原稲荷ト尊稱シタ。元応元年十月、萬福寺ハ兵火ニヨリ焼失シ馬込村ニ移リタルニ依リ、焼ヶ残リシ稲荷祠ハ梶原屋敷内ニ奉遷サレテ、後、柴村来福寺ニ奉納サレ、ソノ追福ノタメ同寺ヘ松櫻ナドヲ植エ寄進シタ。コノ梶原塚ハ、桓武天皇五代ノ裔、常陸少椽良茂ヨリ五代ノ孫、鎌倉權五郎景正ノ子孫梶原日向守、亦梶原助五郎一族ヲ祀ル古墳デアル。従来、コノ稲荷祠ハ南浜川櫻井源兵衛氏ノ所有ナリシガ、大正十四年一月ヨリ地元、元芝、関ヶ原ニ居住スル信仰者ニ管理ヲ委任サレ、地元民ノ協力ニ依リ社務所ヲ建設シ維持管理ニ当ツテ今日ニ至ツタ。梶原氏ハ鎌倉權五郎景正、梶原兵三景時、梶原源太景季ト代々武勇ノ誉高ク、子孫皆ヨク栄エ、又、古来コノ地ニ火災、災難等無キハ、梶原稲荷ノ御守護ニヨルモノナリト伝エラレ、住民皆襟ヲ正シテ尊敬シ。昭和三十八年浄財ニ依リ大修理ヲ加エ、神徳ヲタタエテ信者集イ祭祀ヲ厳修シタ。
昭和三十九年二月十五日初午ノ日
梶原稲荷講
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神社から少し南側に行った場所に来福寺があり、この地は同時に「梶原氏館跡」と云われています。かつては地続きだったのかもしれません。平安末期〜鎌倉初期の梶原氏と、後北条氏時代の梶原氏(この地を治めるため梶原姓を名乗ったとも云われています)、どちらにも縁の深い場所なんですね。
最寄駅は、京浜急行本線「鮫洲」駅、あるいは「立会川」駅。