醫薬神社
2020.06.26[ 神社 ]
徳川と水戸神道と明治維新の息吹を今に伝える「醫薬神社」。「いやくじんじゃ」と読みます。
16世紀後半の天正年間にこの地に開山した「醫王山薬王院東光寺」の境内社として創建された神社が起源と云われています。その後、明治期の神仏分離令に際し寺を廃して現在の「醫薬神社」となったのだそうです。
現在の御祭神は、大国主命、少彦名命。
境内にある「醫薬神社略誌」の御由緒には、以下のように記されています。
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戦国時代末期の天正年間(一五七三〜一五九二)、真言宗関東三カ寺の一つとして創建された醫王山薬王院東光寺の境内に山号の「醫」、寺号の「薬」を取り「醫薬神社」として祀られたのが始まりという。
江戸時代末期、水戸藩主徳川斉昭の庶子として生まれた東光寺住持諦恵が明治初年に新政府が神仏分離令を発布したとき水戸神道を奉じて僧侶から神職となり、近隣の上谷本下谷本・上市ヶ尾・成合の四ヶ村の檀家は神社神道に改宗し、東光寺を配祀して醫薬神社を独立創祀した。
諦恵はこのとき谷本の村名を姓として名乗り、こんこんと湧き出る境内の井戸に因み名を泉と称した。
当初の社殿は、一尺五寸四方の小祠で、昭和の初期に改造営したが、戦後に至って朽ち果てたため新社殿を再建し、昭和四十二年三月二十一日遷座奉祝祭を斎行した。
その後土地区画整理事業により町並みが一変したため、社殿の向きを南向きに変えた。
御祭神大国主神は、親子で手を携えて国を回ったといわれる故事により縁結びの神様として広く信仰されている。
また、大国主神が稲羽の素兎を助けた神話に因み、病気平癒・厄除・安産成就・無病息災・延命長寿のご利益のある神社として遍く崇敬されている。
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現在は座間市にある座間神社の兼務社となっているようです。
最寄駅は、東急田園都市線「藤が丘」駅。徒歩10分ちょっと。
鳥居と社標。
拝殿。右側は現在公園になっていますが、おそらく元々は境内だったのだと思われます。
拝殿の裏手には、地神塔やお地蔵さまが集められています。