磐井神社
2020.03.31[ 神社 ]
武蔵国の八幡社の総社に定められたと伝わる延喜式内社「磐井神社」。
創建年代は不詳ながら、859年(貞観元年)に「武蔵国従五位磐井神社官社に列す」(『日本三代実録』より)とあることから、9世紀には既に鎮座していたものと思われます。
境内にある大田区教育委員会による案内板には、以下のように記されています。
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式内社と呼ばれる古い格式をもつ神社である。『三代実録』によれば貞観元年(八五九)「武蔵国従五位磐井神社官社に列す」とあり、この神社を武蔵国の八幡社の総社に定めたといわれ、また平安時代(十世紀)に編纂された『延喜式』の神名帳に記載されている。
別名、鈴森八幡宮とも呼ばれ、当社の由緒書によれば、江戸時代には、徳川家の将軍も参詣したことが記されている。
万葉集の「草陰の荒蘭の崎の笠島を見つつか君が山路越ゆらむ」の歌にある笠島とは、ここの笠島弁天を指したものという説もある。
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御祭神は、応神天皇・仲哀天皇・神功皇后・姫大神・大己貴命。また、境内社の弁財天(笠島弁天)が「東海七福神」のひとつになっています。
最寄駅は、京浜急行本線「大森海岸」駅。徒歩3分ほど。
正面の鳥居。
境内社の海豊稲荷神社。
境内社の笠島弁天社。
境内のすぐ外にある「磐井の井戸」。案内板には以下のように記されています。
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この井戸は「磐井」と呼ばれる古井戸で、社名の由来となっている。東海道往来の旅人に利用され、霊水又は薬水と称されて古来有名である。
この位置はもと神社の境内であったが、東海道(環第一京浜国道)の拡幅により、境域が決められたため、社前歩道上に遺存されることになった。
現在飲むことはできないが、土地の人々は「この井戸水を飲むと、心正しければ清水、心邪ならば塩水」という伝説を昔から伝えている。
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