居神神社

2019.09.11[ 神社 ]

居神神社

壮絶な「生首伝説」の伝わる神社 居神神社

三浦半島を本拠地としていた相模三浦氏の最後の当主・三浦義意を祀る「居神神社」。

三浦氏は相模守護職として相模国の多くを支配下に置いていましたが、伊勢宗瑞(北条早雲)によって攻め立てられ、やがて三浦半島・新井城(三崎城)に籠城することとなります。3年間にも及ぶ籠城戦の末、父・三浦義同(道寸)は自刃、子の三浦義意は戦死し、相模三浦氏は滅亡しました。

三浦義意の最期は、自ら首を掻き切り自刃したと云われているのですが、その首は死なず、遠く小田原まで飛び、松の枝に掛かり、3年もの間人々を睨みつけ、一目見たものは死に至ったと云われています。そこで久野総世寺の和尚・四世忠室存孝が読経の後「うつつとも夢とも知らぬ一眠り浮世の隙を曙の空」と詠むとようやく成仏し、その際に空から「永く当所の守護神となるべし」との声が聞こえたといい、その地に祠を建てて祀ったのが起源だと伝わっています。

首が飛ぶ、というと真っ先に思い浮かぶのは平将門ですが、こちらのお話もなかなか。。

なお、境内の御由緒板には以下のように記されています。

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当神社の創建は、永正年間とされておりましたが、平成二十八年に歴史愛好家によって永正十七年(一五二〇)であることがわかりました。
この年は小田原城主北条氏綱公が小田原城内や城下を整備した年です。
境内地は北条氏の軍奉行、山角信濃守の住まいを転居させた跡地であること、神輿巡行は創建の翌年から初まり馬出門にて祈祷と異例にも城内祈祷が順路の中に含まれており青物町、欄干橋町、安齋小路浜下り祈祷、板橋地蔵堂前に至るとあります。又当社創建同年氏綱公はご祭神の墓所の土地を父三浦道寸ゆかりのお寺に寄進しております。このようにさまざまな事例により居神大明神は永正十七年に北条氏綱により創建されたと考えられております。

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滅ぼした相手を手厚く祀る、というのは日本では古くから行われていることではありますが、それくらい、北条氏にとって「難敵」だったということなのかもしれません。

現在の御祭神は、三浦義意公・木花咲耶姫命・火之加具土神。木花咲耶姫命は浅間神社を、火之加具土神は秋葉神社を明治期に合祀したことによるもの。

最寄駅は、各線「小田原」駅。徒歩20分ちょっと。境内のすぐ横を新幹線が走っており、新幹線が通過するたびにすごい振動が伝わってきます。。

一の鳥居と社標。

御由緒板。

二の鳥居。その先の石段を登った先に社殿があります。

社殿。

境内社の水神社。小田原早川上水の守護神として祀られたもの。小田原早川上水は「日本最古の水道」と云われています。

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