北條稲荷神社

2019.09.28[ 神社 ]

北條稲荷神社

北条氏と所縁の深いお稲荷さま 北條稲荷神社

北条氏と所縁の深いお稲荷さま「北條稲荷神社」。

境内にある石碑によると、「元亀元年六月時の小田原城主北條氏康霊夢に感じ創建せる」とありますが、その逸話については小田原市商店街連合会公式サイト「0465.net」に詳しく記載されています。

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北條稲荷神社にまつわる言い伝え

北条三代氏康公が、夏の夕涼みをしていると、狐の鳴き声を聞いた。そこで、氏康公は、「夏はきつ ねになく蝉のから衣 おのれおのれが身の上にきよ」と即興の歌を詠んだ。(夏はきつねが鳴く時期ではなく、蝉の鳴く季節であるという意味で、季節外れの狐を茶化した歌という)
その翌日、昨晩狐が鳴いていた場所で、一匹の老狐が死んでいた。
その後まもなく、氏康公の家臣に狐の霊が憑き、「氏康公の歌によって命を落とした。この恨みは深い。この後必ず身辺に災いが起こるだろう」と叫んだ。そして、その翌年に氏康公が亡くなったため、これは老狐の祟りと恐れ、四代氏政公が、狐の霊を鎮めるため、場内に北條稲荷の社を建て供養したというのが、この北條稲荷の起源だと言い伝えられています。

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(以上、小田原市商店街連合会公式サイト「0465.net」より抜粋)

御祭神は、倉稲魂命・大宮姫命・大己貴命・保食命・太田命。

最寄駅は、各線「小田原」駅。徒歩20分ほど。

かなり個性的なフォルムのお狐様。大正時代に奉納されたもの。

そのお隣にはよく見るタイプのお狐様。こちらはもっと古そうです。

「北條稲荷社 並 蛙石の記」が記されている石碑。

蛙石。そばにある案内板には、以下のように記されています。

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今から四百年以前北條稲荷が当地に建立せられて以来蛙石は稲荷末社の一として蛙石明神と崇められ永い由緒をもった小田原の名蹟である。その蛙石と言う名称は形状の蛙に似たところよりいつしか唱えられるに至ったものであろう。もと小田原城内の庭上にあったものを北條稲荷勧請の際ともに城中よりここにうつされたと伝えられているが明治三十五年の大津波にも大正十三年の大地震にも少しの移動もなかったので然らば地下岩盤の露出の先端ではないかという。
都路往来の文中に「蛙鳴くなる小田原の里」とあるのはこの蛙石が小田原に異変があるときには必ず鳴声を発するためだと伝えられ特に北條時代小田原落城の際は夜なく盛んに鳴いたというのは名高い伝説である。

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境内社。

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