東玉川神社
2019.10.17[ 神社 ]
紆余曲折を経て再び地域の鎮守として祀られるようになった神社
東玉川神社
紆余曲折を経て再び地域の鎮守として祀られるようになった「東玉川神社」。
江戸時代に、諏訪大社の御分霊を勧請し創建された「諏訪社」が起源。しかし明治期に近隣の村と合併し玉川村となると、一村一社政策により現在の玉川神社に合祀されます。その後人口増加に伴いこの地域が東玉川町として独立したことで神社再興の機運が高まり、なかなか許可が下りなかったそうですが、野毛にあった日枝神社を遷座し諏訪神社と合祀する形でついに「東玉川神社」として再建が叶いました。
そういった経緯により、現在の御祭神は、建御名方命・大山咋命。
社殿・拝殿は、渋谷区本町にある幡ヶ谷氷川神社から譲り受け移築したものだそうです。これらは江戸時代初期のもので、世田谷区登録有形文化財に指定されています。
最寄駅は、東急目黒線「奥沢」駅。徒歩10分ほど。東急東横線「田園調布」駅・東急池上線「雪ヶ谷大塚」駅・「石川台」駅からも徒歩圏です。
正面の鳥居と社標。ちなみに右側は交番。
手水舎。
拝殿の天井板に描かれた「火焔龍神像」。案内板には、以下のように記されています。
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向拝の天井板には、弘化二年(一八四五年)、萬遷による「火焔龍神像」(正面坐臥)が水墨で描かれています。あたりを祓う高位尊厳とすさまじさが火焔となって立ち昇り、邪悪を祓う姿を表現したものです。
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もし『中二病でも恋がしたい!』の舞台が東京なら、富樫勇太はきっとここにお詣りしてた筈?
幡ヶ谷氷川神社から移築された社殿。改築によって建て替えられた幡ヶ谷氷川神社の社殿は戦災で焼失してしまったことを考えると、江戸初期の建造物がこうやって残っているというのは素晴らしい「巡り合わせ」だと思います。
境内社の御嶽神社。