早野子ノ神社(川崎市麻生区早野)
2022.01.28[ 神社 ]
富士山の噴火を機に建立されたと伝わる「早野子ノ神社(川崎市麻生区早野)」。
1703年(元禄16年)に創建されたと伝わっています。江戸時代には早野村の鎮守として祀られていました。
境内の「由緒沿革」には以下のように記されています。
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由緒
子ノ神社は本宮である出雲大社の分霊を勧請して大国主命(大己貴命は大国主命の別名)が祀られています。
大国主命について「古事記」には「大国主命が素盞嗚尊の娘、須勢理毘売命と婚姻するに当たり父の尊の出す数々の試練をおうけになられました。その一つの野火の試練をお受けになられたとき一匹の鼠が現われ、地中の洞穴に大国主命を導き災難をお助けになりました…」とあり、鼠は大国主命の神使とされ、神使の名前を「十二支」の子になぞられ、神社名になったと言われます。
子ノ神社の主祭神大己貴命(大国主命の別名)は農耕の守護神、台所の神、縁結びの神と言われます。
沿革
此の地開発の時期は不明なれ共、言伝へる所に依れば寛永四年駿河国富士山が噴火して関八州え降砂あり、村民は驚きなにか天災地変の前兆なりと五穀成願せんとしてご神体に大己貴命を祭り此処に子ノ神社を建立せる時は、寛永五年(西暦一六二八年)十一月なりと伝ふ
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「沿革」には寛永五年(1628年)の創建とあるのですが、続く文章には「元禄十六年九月二十六日(西暦一七〇三年)創立」とあり、また神奈川県神社庁のサイトにも「元禄」の方を採用しているので、冒頭の通りこのサイトでもその様に表記しておきました。
御祭神は、大己貴命・倉稲魂命・木花咲耶姫命。倉稲魂命と木花咲耶姫命は、大正期に浅間社・稲荷社を合祀したことによるものと思われます。
現在は月読神社の兼務社となっているようです。
最寄駅は、小田急本線「柿生」駅。
正面からの眺め。
リンク
MAP
神奈川県川崎市麻生区早野65