天祖神社(新宿区原町)
2024.10.29[ 神社 ]
慶長年間創建・原町一丁目の鎮守神「天祖神社(新宿区原町)」。
江戸時代初期の慶長年間に、この地の長者・大橋龍慶が天照皇大神を勧請して創建されたと伝わっています。
入口にある『天祖神社由来』には、以下のように記されています。
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慶長年間(江戸時代初め、四百年ほど前)、諸国で神踊りが流行した時に、牛込の里は、とくに神踊りが盛んであった。この頃、この辺りに長兵衛という、たいへん信仰心の篤い里人がいたが、ある時、神が夢の中に現われ給うて、「我ここに住みて諸人の苦難を救わん」と言われることが、五晩続いた。そこで長兵衛はいよいよ信心を深めて、まるで、そこにおられるかのように神を祀った。それを聞いた大橋龍慶という長者が、天照皇大神宮を勧請して祠を建て、その後、諸難消除祈願、病気平癒祈願、安産祈願、弓術皆中祈願などで、お参りするが人が絶えることなく、霊験あらたかな神社として知られ、原町一丁目の鎮守として、今日も多くの人々に信仰されている。
御祭神は天照皇大神、境内には桃の神を祀った桃祖神社がある。
平成十四年十一月
原町一丁目町会
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御祭神は、上記の通り天照皇大神。
最寄駅は、都営地下鉄大江戸線「牛込柳町」駅。
外観。上り坂の途中にあります。
神社入口にある神門。1845年(弘化2年)建立。
神門の先には、鳥居があります。
鳥居付近からの境内の眺め。
社殿。
境内社の桃祖神社(とうそじんじゃ)。境内の御由緒板には、以下のように記されています。
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桃祖神社の由来
桃祖神社は、桃の神を記る神社です。
古来、中国では桃は邪気を打ち払う霊力のある果実とされていて、『古事記」では、伊邪那命が黄泉の国からの帰途、邪鬼に追われ苦境に立たされた時に、桃の実を投げつけて、黄泉の国から脱出しました。そこで、伊邪那岐命は桃に感謝し、意冨加牟豆美命という神名を与えました。
以来、桃は神としてお祀りされるようになりました。
さて、何故に天祖神社の境内に、桃の神が祀られているのか。
それは、社伝によると、天祖神社は、天照皇大御神という女神を祀るという事から、多くの女性達が参拝しました。
その女性達の中には、慶事ではあるが、生命の危険もあった出産の無事を祈願する人も数多くいました。
そして神社側も、毎年盛大な安産祈願の祭を斎行して、その際に、「桃の御守」を参拝者に授与し、御神徳を広めたという事です。
この御守を受けて無事に出産をしたある女性が、桃の神に感謝し、一体の御神像を奉納しました。
この御神像をお祀りするためにお社を建立しました。
これが、現在の桃祖神社となりました。
必来、安産成就はもとより、子孫繁栄、あらゆる厄難消除などに
御利益のある神様として、あつく信仰されています。
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MAP
東京都新宿区原町1丁目42