浅間神社(八王子市台町)
2019.08.06[ 神社 ]
慶長年間に、富士塚の上に創建された「浅間神社(八王子市台町)」。
後北条氏滅亡後にこの地を所領した大久保長安によって、駿河国本宮浅間神社より御分霊を勧請し創建されたと伝わっています。
境内に掲げられている「浅間神社縁起」には、以下のように記されています。
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浅間神社は木花咲耶姫を祭神とし、一つに富士浅間様とも言い、駿河国の本宮浅間神社を分社したものです。
慶長年間(1596〜1613)、大久保石見守長安が高さ約二丈(約6m)周囲六十間(約109m)余りの塚を築き、頂上に浅間神社を勧請したのが当社の起源です。
この場所は、往古より樹木生い茂れる森にて、藤森と言い、塚も藤塚と書かれていましたが、慶長年間、富士浅間神社創立後は富士森又は富士塚と書くようになりました。
宝永年間(1705頃)、社殿破壊に及び、延享二年(1755)改めて石造りの社を再建したのが本殿で、現在の奥の院石造りの社です。又、天明六年(1787)には石の階段が造られました。当社は元々拝殿がなく祭典は毎年山上で行ってきました。
例祭は八月一日で七月三十一日の宵宮より参拝者で雑踏し、境内には団子を売る商人が軒を並べ、この団子を食べる者は暑気にあたらぬとの言い伝えに、別名「団子祭り」とも呼ばれるようになりました。
この団子祭りの起こりは、明治の中頃社頭に住居して宮守をして居た者が、当社に献じた洗米で団子を作り、希望者へ分与したのが始まりです。
当社の例祭に行う、湯の花の神事は、心身の汚れを祓い清め、すがすがしい精神で氏子一同神へ奉仕する意味です。
当社は子授かり、安産の神として信仰されていますが、この由来は、天照大神の御孫瓊瓊杵命の皇后である当社の御祭神木花咲耶姫命が、一夜にして身ごもったため夫の命より疑いを受けた際、身の潔白を立証するため、産屋に火を放ち、火中で皇子を安産されたと言う故事に起因するものです。
現在の拝殿は昭和二十八年に大正殿(大正天皇のご大葬の時多摩御陵に造られた式典用の建物)を移築し建て直したものです。
昔より古い歴史を持つこの浅間神社は今、台町一丁目、台町二丁目、台町三丁目、台町四丁目及び万町二丁目によりお護りされています。
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一般に「富士塚」は江戸時代中期に盛んになった「富士講」に関するものを指すようですが、こちらの富士塚はそれよりもはるかに古い築造。しかしお詣りした際は奥の院(本殿)の改修工事中で、残念ながら富士塚に登ることはできませんでした。。
現在、神社の境内を含む一帯は「富士森公園」となっており、野球場や陸上競技場(お詣りした時は改修工事中でした)、テニスコート等もある、とても大きな公園で、春にはお花見、夏には花火大会で盛り上がるのだそうです。
最寄駅は、JR各線「八王子」駅。徒歩15〜20分ほど。
拝殿裏、富士塚の上にの祀られている本殿。お詣りした時は改修工事中で残念ながら登れませんでした。
こちらが現在拝殿として使用されている「大正殿」。
境内の御由緒板。
境内社。