扶桑教太祠(世田谷区松原)

2022.01.21[ 神社 ]

扶桑教太祠(世田谷区松原)

冨士講の流れを汲む扶桑教の本祠 扶桑教太祠(世田谷区松原)

冨士講の流れを汲む扶桑教の本祠「扶桑教太祠(世田谷区松原)」。

扶桑教は、各地の冨士講を結集するために設立された「冨士一山講社」を起源とする、教派神道十三派のうちのひとつ。1882年(明治15年)に設立され、現在地には1919年(大正8年)に移転しました。

神社入口にある『松原のお冨士さん 神道扶桑教冨士塚 松原冨士遺構』と書かれた案内板には、以下のように記されています。

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神道扶桑教の起源は元亀三年(一五七二)冨士道開祖藤原東覚角行師が戦国乱世の荒廃した世を救うため「天地平安 萬人安福」を真願として冨士道を開かれたことに遡ります。角行師が御神威を篭めて謹製奉願した御神鏡は冨士講により代々受け継がれ此処、扶桑教太祠に奉斎されています。

江戸時代には全国各地に多くの冨士講が組織され富士山への登拝修行が行われました。明治時代に入り初代管長宍野半が多数に分立していた冨士講を統合し「冨士山 日本」を意味する「扶桑」を教団名として明治十五年(一八八二)に明治天皇の勅裁を賜り「神道扶桑教」を特立いたしました。
当初、扶桑教冨士塚は芝神明町(現在港区浜松町)に建立されました。
その後、太祠の移転とともに大正八年(一九一九)この地に移設。高さ約10mほどの立派な冨士塚でしたが昭和二十年(一九四五)五月二十五日の東京第三次大空襲により罹災し本殿他境内建物が全焼したため、現在は冨士山内外八海八大龍神宮を合わせ斎っています。
廻りに建つ石碑は斯波神明町より移設したものです。

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御祭神は、大祖参神(天之御中主大神・高皇産霊大神・神皇産霊大神)。相殿に、​天照大御神・月夜見大神・木花開耶姫大神・​彦火瓊々杵大神・​天神地祇八百萬神。

最寄駅は、京王本線・井の頭線「明大前」駅。徒歩約4・5分ほど。

正面の鳥居からの眺め。

拝殿。

富士塚。

境内社の全国オートバイ神社第零号総本社「道開社(みちびらきしゃ)」。御祭神は、猿田彦大神・天宇受賣大神・市杵島姫大神・埴安媛大神。

MAP

東京都世田谷区松原1丁目7−20

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