第六天社(相模原市中央区淵野辺本町)
2024.05.12[ 神社 ]
旧津久井道沿い・淵野辺城跡のそばに古くからお祀りされている「第六天社(相模原市中央区淵野辺本町)」。
創建年代は不明ですが、新編相模風土記稿に、建武年間に活躍した武将・淵辺義博の居館跡に関する記述があり、その中で触れられていることからすると、かなり古くから(淵辺義博関連の祠として)認識されていたのかもしれません。現在は「第六天祠」と刻まれた石碑が建っています。
祠碑の横にある石碑には、以下のように刻まれています。
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新編相模風土記稿の淵辺伊賀守義博居蹟の項には 村の北にあり潤方三町許 馬場蹟等今猶残れり 又第六天の祠あり と説明されている
このたび井上富永氏は由緒あるこの第六天祠碑を建立し年来の信仰を記念するものである
昭和六十一年六月吉日
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淵辺義博は足利直義の家臣で、中先代の乱の際に護良親王の首を落とした人物。その後新田義貞との戦(手越河原の戦い)にて戦死しました。淵辺義博の居館(淵野辺城)跡は、ここから100mほど南にあります。
また祠のある場所の前には「第六天坂」と書かれた標識があり、その側面には以下のように記されています。
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第六天社のそばにある坂なのでこの名があります。またこの道は「久保沢道」「溝街道」「芝溝街道」などと呼ばれていました。
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津久井道については、詳しい経路は不明な部分も多いのですが、芝溝街道はその一部だったとも云われています。ここは津久井から清兵衛新田を経由して図師に抜ける経路の途中にあり、遅くとも江戸時代には既に第六天坂と呼ばれていたと伝わっています。
最寄駅は、JR横浜線「淵野辺」駅。徒歩約20分ほど。
階段を登ったところの眺め。
祠碑の横にある石碑。
祠の前にあるこの坂が「第六天坂」。津久井道(芝溝街道)の一部だったと云われています。
MAP
神奈川県相模原市中央区淵野辺本町3丁目36