智光院稲荷大明神(杉並区松ノ木)

2024.12.21[ 神社 ]

智光院稲荷大明神(杉並区松ノ木)

智光院の境内にお祀りされているお稲荷さま 智光院稲荷大明神(杉並区松ノ木)

智光院の境内にお祀りされているお稲荷さま「智光院稲荷大明神(杉並区松ノ木)」。

智光院は、江戸時代初期に上野に開かれたのが起源。その後明治時代までは現在の西浅草にあったのですが、大正期の東京市の区画整理のために高円寺に移転しました。

杉並区教育委員会による案内板『智光院』には、以下のように記されています。

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片岡山智光院は臨済宗妙心寺派の寺院で、本尊は木造釈迦如来坐像です。
「御府内備考続編」によれば、江戸時代初期の寛永7(1630)年、上野東叡山(寛永寺)東側の車坂下に片岡大麟によって開創されたといわれています。
智光院の寺号は開基である旗本天野周防守雄光の室(北畠中納言具教の息女)の法名・智光院殿に由来しています。
元禄11(1698)年、車坂下から浅草新谷町(現・台東区西浅草)に移り、その後中興開基とされる旗本佐藤駿河守吉次によって諸堂宇(建物)が整えられたと伝えられています。そして、武家の江戸寺として天野家・佐藤家をはじめ、伊予(現・愛媛県)の加藤家、近江(現・滋賀県)の遠藤家などの手厚い保護により寺運を伸展しました。しかし、安政2(1855)年10月の江戸大地震では本堂の倒壊という被害を受けています。
大正元(1912)年、区画整理のため現在地に移転し、今日に至っています。
墓地には文化・文政期(1804~1830)にかけて江戸北町奉行として活躍した永田備後守正道の墓があります。
また、寛正年間(1460~1466)造立の板碑が保存されているほか、承応4(1655)年につくられた木造地蔵菩薩坐像も安置されています。
なお、本堂は中野区福蔵院の本堂を移築したものです。

令和6年3月 杉並区教育委員会

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なお、稲荷祠についての詳細は残念ながらわかりませんでした。

最寄駅は、東京メトロ丸ノ内線「新高円寺」駅。

智光院の入口。

中に入ってすぐ右手にお祀りされています。

MAP

東京都杉並区松ノ木3丁目33−30

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