世田谷城址公園
2021.12.09[ 史跡・公園等 ]
足利氏の一門・世田谷吉良氏の居城だった地に作られた「世田谷城址公園」。
世田谷城は室町時代の応永年間(1394〜1426年)頃に居館として造られ、関東の戦国時代の幕開けとなる享徳の乱の頃に城として本格的に整備されたそう。本丸は現在の豪徳寺付近にあったと云われていますが、後北条氏滅亡とともに廃城となりました。公園内には、空堀・土塁が残っています。
世田谷区ホームページ内には、以下のように記されています。
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昭和15年に開園した世田谷区内唯一の「歴史公園」で「東京都指定文化財」にもなっています。公園内には、昔のおもかげを残す土塁や丘、谷があり、樹木に覆われた自然豊かな公園で、世田谷百景にも選ばれています。さぎ草の伝説の主人公「常盤姫」もここに住んでいました。
なお、世田谷城は、初代吉良氏が南北朝の頃、関東管領・足利基氏から、戦の手柄により、武蔵国世田谷領をもらいうけて築城したのが始まりであると言われています。
以後、吉良氏八代、二百数十年の間、居城として栄え、吉良御所、世田谷御所と呼ばれました。
1590年(天正18年)豊臣秀吉が小田原の北条氏を滅ぼしたとき、北条氏と親戚関係にあった吉良氏も運命を共にしたため、廃城となりました。
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(以上、世田谷区ホームページより抜粋)
吉良氏は江戸時代には「蒔田」姓を名乗り(後北条氏の時代に横浜・蒔田を本拠にしていたため)家は存続します。そしてあの「赤穂事件」によって三河吉良氏が断絶したことで再び「吉良」姓を名乗るようになりました。
最寄駅は、東急世田谷線「宮の坂」駅。徒歩約5分ほど。
この辺りが遺構でしょうか?私自身「城マニア」ではないので、今ひとつよくわかりませんでした。。
南側の入口にある案内板。
こちらは西側の入口にある案内板。
MAP
東京都世田谷区豪徳寺2丁目14−39