酒呑地蔵尊

2021.05.29[ 史跡・公園等 ]

酒呑地蔵尊

物悲しいエピソードの伝わるお地蔵さま 酒呑地蔵尊

浄土宗法界山清岸寺の境内に祀られているお地蔵さま「酒呑地蔵尊」。

かつては、神田川支流の流れる(現在は暗渠化)渋谷区立本町小学校(現在の本町学園第二グラウンド)そばの橋の袂に「本村地蔵尊」・通称「酒呑地蔵」として祀られていたのですが、近年幡ヶ谷の清岸寺境内に遷されました。

渋谷区教育委員会による案内板には、以下のように記されています。

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この地蔵は、江戸時代の宝永五年(一七〇八)にたてられ、別名を子育地蔵ともいわれますが、つぎのようないい伝えがあります。
むかし、四谷伝馬町に住む中村瀬平という者は、故あって成長の後に家を出て幡ケ谷村の農家に雇われて農作業や子守りなど一生懸命に働いたといわれています。
瀬平の勤勉さに感心した村人は、三十一才になった正月に彼を招いてご馳走したところ、ふだんは飲まない酒によった瀬平は川に落ちて水死しました。
瀬平は村人の夢まくらに現れて、この村から酒呑を無くすために地蔵を造ってほしいと願ったので、村人たちは早速一基の地蔵を建立し、酒呑地蔵として伝えて来ました。

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なんとも物悲しいエピソードの伝わるお地蔵さまです。。

最寄駅は、京王新線「幡ヶ谷」駅、あるいは京王線「笹塚」駅。どちらからも徒歩約6・7分ほど。

実はもともとこのお地蔵さまが建っていた場所の近くに住んでいたことがあったのですが、移転後地元の方にお話をお伺いしたところ、とても残念がっておられました。。

案内板。

こちらは清岸寺の本堂。元々は明治時代に、現在の千葉県南房総市に建てられた民家(「岩井御殿」と呼ばれていたそう)なのですが、先の戦災で本堂が焼失してしまった後、戦後に建物を譲り受けて移築したものなのだそう。

MAP

東京都渋谷区幡ケ谷2丁目36

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