王禅寺
2019.01.19[ 史跡・公園等 ]
「東の高野山」と呼ばれ、中世には真言密教の道場にもなっていた古刹
王禅寺
「東の高野山」と呼ばれ、中世には真言密教の道場にもなっていた古刹「王禅寺」。
孝謙天皇の夢枕に観音菩薩が現れ「武蔵国の光ヶ谷戸という所に居る」と告げ、発見された聖観音像を祀り堂宇を創建したのが始まりと伝わっています。
ウィキペディアによると、創建の経緯は
慶安3年(1650年)成立の縁起(『聖観世音菩薩略縁起』)によれば、天平宝字元年(757年)、観音菩薩が孝謙天皇の夢枕に現れ「武蔵国の光ヶ谷戸という所に居る」と言われ、探索を命じられた結果、発見されたという。孝謙天皇の勅命で武蔵国都筑郡二本松で発見(光ヶ谷など異説あり)された一寸八分の聖観音(しょうかんのん)である金の像を祀り堂宇を創建したという。寺伝によれば延喜17年(917年)高野山の三世無空上人が、醍醐天皇から「王禅寺」の寺号(王の命じた仏教を修行するに適した場所としての寺という意味)を賜り、同地に改めて創建され関東の高野山と呼せられ、東国鎮護の勅願寺となる。延喜21年(921年)高野山の熊空上人により真言宗の寺となるという。(以上抜粋)
とのこと。
このブログでは基本的にお寺は扱わないのですが、敢えて取り上げたのは、ここが「日本最古の甘柿の品種」とも言われる「禅寺丸柿」発祥の地だから。新田義貞による鎌倉攻略の過程で王禅寺は焼失、再興を命じられた等海上人がこの柿を見つけ、あまりにも甘く美味しかったため(それまで日本の柿は全て渋柿だったと言われています)に、村人に栽培させたのが始まり。「柿生」という地名も、このことに由来するのだそう。
最近では収穫量が激減し、市場にもほとんど出回っていないそうですが、地元でのみ販売されているようで、ローカルTV番組でもその様子を見たことがあります。
最寄駅は、小田急本線「柿生」駅、あるいは「新百合ヶ丘」駅。
禅寺丸の原木。新しい本堂の前にあります。
『禅寺丸之記』碑。
旧本堂の正面。新しい本堂の先にあります。
こちらが旧本堂。
旧本堂の前から見た旧山門。私は新しい本堂へと続く道を歩きましたが、この旧山門へと続く道も残っています。多摩丘陵は、その昔はどこも山道ばかりだったのでしょうが、王禅寺一帯はそんな風情がよく残る場所でもあります。
南側にある入り口。西側の「王禅寺ふるさと公園」側からも入れますが、こちらからの参拝をお薦めします。