押立の渡し(府中市押立町)
2025.04.09[ 史跡・公園等 ]
多摩川の洪水により分断された押立を結んでいた渡しの跡
押立の渡し(府中市押立町)
多摩川の洪水により分断された押立を結んでいた渡しの跡「押立の渡し(府中市押立町)」。
1596年(慶長元年)に起きた多摩川の大洪水による流路変更により、川の北側にあった押立村の一部が分断され、川の南側となったエリア(向押立)との往来のために設けられた渡しです。ただ、水量の少ない時期は土橋で渡れていたそう。
『押立渡し』碑には、以下のように記されています。
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押上渡しは、押立と対岸の押立南部(現稲城市)とを結んでいた渡しで、押立村が経営していたことからその名があります。
『新編武蔵風土記稿』(幕末の地誌)の「押立村」の項には,、「土橋、多摩川に架す、長さ三十四五間、四月より九月までは橋を廃し, 舟を用ゐて渡せり」と誌されており、多摩川の水量が多い時期には渡船による往来の便が施されていたようです。
この渡しは、下流の多摩川原橋(昭和十年)や上流の是政橋(昭和十六年)の開通によってその存在性が薄くなり、次第に消えていったようです。
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最寄駅は、京王電鉄京王線「飛田給」駅。
写真奥が多摩川。右手前に「とせんばみち」と書かれた石碑があります。
『押立の渡し』碑。
土手側からの眺め。
土手から見える多摩川。
MAP
東京都府中市押立町5丁目13