小台七庚申(足立区小台)
2026.01.21[ 史跡・公園等 ]

旧江北村宮城地区にあった庚申塔をまとめて安置している「小台七庚申(足立区小台)」。
1654年(承応3年)から1736年(元文元年)にかけて、地域でお祀りされた庚申塔(の、おそらく一部)がまとめてお祀りされています。まとめられた理由は、大正初期にはじまった荒川放水路の建設計画。
足立区教育委員会による案内板には、以下のように記されています。
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小台の七庚申
庚申信仰は、中国の道数に基づくもので、日本には平安時代に貴族社会へ伝わり、江戸時代には広く庶民の間に広まった。庚申信仰は、六十日に一度訪れる中の日の夜に、人間の体内にいる三尸虫と呼はれる三匹の虫が睡眠中の人間の体から抜け出て、その人間の罪を天帝に密告し、密告された人間は寿命が縮んでしまうというものである。そこで人々は睡眠をとらずに夜通し酒食を共にすることで、三尸虫が体内から出るのを防ごうとした。これが庚申待と呼ばれる風習である。そして、庚申待を継続した記念に皆で庚申塔を建てるようになった。
ここに集まっている庚申塔は、大正初期にはじまった荒川放水路の開削工事で水没する運命にあったもので、その運命を惜しんだ下川亀蔵氏が自家の移転と共に、ここに移転安置したものである。
承応三年(一六五四)から元文元年(一七三六)に造立された堂々とした造りで、江戸期に庚申信仰が盛んであったことを物語っている。塔には、武州下足立郡淵江領宮城村の刻銘があるが、ここの地名をとって、小台の七庚申(足立区登録有形民俗文化財)と呼ばれ、人々の信仰を集めている。
多くの民俗資料が消減していくなかで、区民の努力によって保護保存されている代表的なものである。
令和元年
東京都足立区教育委員会
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関東における庚申講は、江戸時代に(主に)天台宗系の修験者によって広く庶民の間に広がったと云われていますが、日月講や地神講等さまざまな講(信仰)とも交わり、調べていくとかなり奥が深そうです。
普段は庚申塔は単独ではこのブログで扱わないのですが、今回は地域の歴史が詰まっているものと感じたので、記事にしました。
最寄駅は、都電荒川線「小台」駅。
外観。左側は、荒川の堤防道路。
正面から。
東京都足立区教育委員会による案内板。
覆屋の中の庚申塔(1)。
覆屋の中の庚申塔(2)。
MAP
東京都足立区小台2丁目47