喜多見不動堂(世田谷区成城)
2023.04.09[ 史跡・公園等 ]
流れ着いた不動明王像を祀ったのが起源と伝わる「喜多見不動堂」。
明治のはじめ頃に起こった多摩川の洪水の際にこの地に流れ着いた不動明王坐像に、成田山新勝寺で入魂してもらい、1876年(明治9年)に堂宇を建てて安置したのが起源だと云います。その後1941年(昭和16年)に喜多見の慶元寺の境外仏堂となりました。
世田谷区教育委員会による案内板には、以下のように記されています。
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この不動堂は喜多見慶元寺の境外仏堂で、本尊は不動明王坐像である。
創建は明治九年五月で、村内安全、諸難消除、各願成弁のため、喜多見の住人浦野半次郎が発起人となり西山八郎兵衛、田中福太郎、宮川太郎兵衛、田中留吉、宮川安五郎、西山伊兵衛の各氏が願主となって、有志の寄進を得て今の地に堂宇を建立し尊像を安置したものである。
この尊像は、明治の初め多摩川大洪水のとき、喜多見川原に流れ着いたものを前記の願主たちが成田山新勝寺で入魂したものと伝えられている。
境内には湧水による滝があり、かつては信者が水行した。また、この滝口には滝不動が祀られている。
堂宇と並んで岩屋不動、玉姫稲荷、蚕蔭大神を祀った小祠がある。
毎年冬至の日には星祭りが執行され、護摩が奉修され、特に南瓜に”真田幸村”と書き、自分の名を併記して護摩供養すると喘息や中風に罹らないという南瓜護摩が古くからこの日に行われている。
昭和五十九年三月
世田谷区教育委員会
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「星祭り」とは、仏教で行われる星供養のことで、特に冬至には南瓜を用いて行われるそう。しかしなぜ『真田幸村』と書くのかについては、調べきれませんでした。。
最寄駅は、小田急小田原線「成城学園前」駅、あるいは「喜多見」駅。私は成城学園前から歩きましたが、約10分ほど。途中で小田急線の上を通る「富士見橋」を渡りましたが、ここからの西側(丹沢・富士山方向)の眺めは素晴らしい!です。
お堂の入口。国分寺崖線の下側にあります。
かつて信者が水行を行っていたという滝。国分寺崖線からの湧水です。
滝の脇にある石段を登っていきます。すぐ右側には、小田急線が走っています。
石段の先にお堂が見えてきます。
石段を登って正面に見えるこちらが不動堂。
お堂に向かって右手にある蚕蔭神社(こかげじんじゃ)。この地域でも明治期に養蚕が行われていたそうです。
こちらは左手にお祀りされている玉姫稲荷神社。
岩屋不動。
MAP
東京都世田谷区成城4丁目2−8