第六天塚古墳(世田谷区喜多見)
2023.02.14[ 史跡・公園等 ]
喜多見古墳群の中で最大規模の円墳「第六天塚古墳(世田谷区喜多見)」。
五世紀末〜六世紀初頭に造られたものと考えられています。名称は、江戸時代後期に古墳(塚)の上に第六天が祀られていたことから。埋葬者については触れられていませんが、おそらく地域の豪族の族長墓と思われます。
世田谷区教育委員会の案内板には、以下のように記されています。
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古墳時代中期(五世紀末〜六世紀初頭)の円墳。
昭和五十五年(一九八〇)と昭和五十六年(一九八一)の世田谷区教育委員会による、墳丘及び周溝の調査によって、古墳の規模と埋葬施設の存在が確認された。
これにより本古墳は、直径二十八・六メートル高さ二・七メートルの墳丘を有し、周囲に上端幅六・八〜七・四メートル下端幅五・二メートル〜六・七メートル深さ五十〜八十センチの周溝が廻り、その内側にテラスを有し、これらを含めた古墳の直径は三十二〜三十三メートルとなることが判明した。またこの調査の際に、多数の円筒埴輪片が発見された。
埋葬施設は、墳頂下六十〜七十センチの位置に、長さ四メートル幅一・一〜一・四メートルの範囲で、磔の存在が確認されていることから礫槨ないし磔床であると思われる。
なお同古墳については、『新編武蔵風土記稿』によると、江戸時代後期には第六天が祭られ、松の大木が生えていたとの記載が見られる。
この松の木は大正時代に伐採されたが、その際に中世陶器の壷と鉄刀が発見されており、同墳が中世の塚として再利用されていたということも考えられる。
昭和五十九年三月
世田谷区教育委員会
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最寄駅は、小田急小田原線「喜多見」駅。
須賀神社のお隣にあるこちらの竹藪が、第六天塚古墳。
頂上付近には、石碑のようなものがあるのが確認できます。こちらが第六天でしょうか。。
世田谷区教育委員会のよる案内板。
MAP
東京都世田谷区喜多見4丁目3