亀塚公園
2017.04.13[ 史跡・公園等 ]
「竹芝寺伝説」を今に伝える・屋敷跡に整備された公園
亀塚公園
江戸時代には上野国沼田藩の下屋敷として、明治維新後しばらくは皇族華頂宮家の邸宅があった当地。昭和8年には建物はなくなり庭園だったそうですが、先の大戦の空襲によりなくなり、戦後に「亀塚公園」として整備されました。
こんもり盛り上がっている形状から、古くから「古墳」ではないかと思われていたようですが、調査ではそれを裏付けるものは何も出ていないそう。しかし縄文時代の住居跡は発見されています。
「亀塚」の由来は上記(古墳)のほか、『更級日記』の「竹芝寺伝説」によるとも言われ(申し訳ありません、この話については全く知識がありません。。)、この話に興味を持った上野国沼田藩2代目の藩主・土岐頼煕による石碑が建てられています。
亀塚の頂上にある、土岐頼煕による「亀山碑」。
公園を取り囲む形で今も残る外壁は華頂宮家時代のものだそうです。
公園のすぐそばにある「幽霊坂」。確かにこの通りにはお墓も数多くあり、夜なら、、と思わなくもないですが、今回は明るい時間に行ったので普通の坂道でした。。
御田八幡神社側に下った場所にある「斜面緑地と湧水の保全」の看板。しかし訪問した際には(冬場だったせいか?)湧水は確認できませんでした。