泉中央公園(横浜市泉区和泉中央南)
2023.08.17[ 史跡・公園等 ]
「泉親衡の乱」の首謀者・泉親衡が築いたと伝わる城館跡につくられた「泉中央公園(横浜市泉区和泉中央南)」。
信濃国の御家人・泉親衡の関東(鎌倉)での居館であったと云われ、「中和田城」とも呼ばれています。現在公園となっている部分は、城の曲輪部分と考えられているようです。
公園内にある案内板『泉中央公園の館跡』には、以下のように記されています。
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泉中央公園の一帯は、鎌倉時代の武士の泉小次郎親衡の館跡と言い伝えられていますが、二重堀や板碑の紀年などから、南北朝時代のものではないかともいわれています。公園の西側は和泉川を天然の水堀とし、東側と南側には空堀と土塁が残っています。現存する土塁は基底が約3m、高さ1m、空堀は幅が約4〜5m程であり、遺構は、南北400m、東西200mに及びます。東側の土塁は堀の前面にあり、土塁前が道路になっていることから、二重堀があったと推定されています。
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「泉親衡の乱」は、1213年に起きた内乱未遂事件。源頼家の遺児・千寿丸を擁立し北条義時の打倒を目指したもの。和田義盛の子たちも関わっており、後の「和田合戦」へと繋がる大きな出来事でした。この乱の後、泉親衡は行方不明となり表舞台からは姿を消しますが、日本各地に落ち延びたという逸話が残っているようです。
最寄駅は、相模鉄道いずみ野線「いずみ中央」駅。
東側の公園入口。
『泉中央公園の館跡』案内板。
公園南側にある堀の跡。といってもお城に関しては全くの素人の私には、よくわかりませんでした。。
「泉小次郎馬洗いの池」。泉親衡が馬を洗ったと伝えられているそう。昔から枯れたことがなく、かつては旱魃の際に雨乞いの神事が行われていました。
MAP
神奈川県横浜市泉区和泉中央南4丁目22