五十間鼻無縁仏堂

2020.07.14[ 史跡・公園等 ]

五十間鼻無縁仏堂

第二次世界大戦の水難者を弔うために設けられたお堂 五十間鼻無縁仏堂

多摩川と海老取川の合流する場所に、五十間(約90m)に渡って水中に石を敷き詰めたことから名付けられた「五十間鼻(ごじゅっけんばな)」。その上に設けられたのが「五十間鼻無縁仏堂」です。

入り口にある案内板「五十間鼻無縁仏堂の由来」には、以下のように記されています。

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創建年代は、不明でありますが、多摩川、又、関東大震災、先の第二次世界大戦の、昭和二十年三月十日の東京大空襲の折には、かなりの数の水難者が漂着致しました。
その方々をお祀りしていると言われております。
元は、多摩川河口寄りの川の中に、角塔婆が一本立っているだけで有りましたが、初代 漁業組合長 故 伊東久義氏が管理し毎年お盆には盆棚を作り、有縁無縁の御霊供養をしていました。昭和五十三年護岸工事に伴い、現在地に移転しました。その後荒廃著しく、仲七町会 小峰守之氏 故 伊東米次郎氏 大東町会 故 伊東秀雄氏が、私財を持ち寄り復興致しました。
又、平成十六年に村石工業、北浦工業、羽田葬祭スミヤ、中山美装、中山機設の協力により新たに、ブロック塀、角塔婆、桟橋、などを修理、増設、現在に至ります。
又、新年の水難祈願として、初日の出と共に、羽田本町日蓮宗 長照寺 住職 並びに信者の方々が、水難者への供養を、毎年行っています。
合掌
堂守謹書

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最寄駅は、京浜急行空港線「天空橋」駅。徒歩5分ほど。

沖(左奥)に見えるのは、羽田空港。

案内板。

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