千葉定吉道場跡

2019.11.17[ 史跡・公園等 ]

坂本龍馬が通ったとされる剣術道場の跡地 千葉定吉道場跡

坂本龍馬が通ったとされる剣術道場の跡地「千葉定吉道場跡」。『竜馬がゆく』で龍馬ファンになった私にとっては(そしてさなファンでもあるので)、一度来てみたいと思っていた場所でした。

といっても現在は通りに案内板があるのみで、その跡地には立派なビルが建っています。言うまでもありませんが、周囲は完全に「都心のオフィス街」。当時を偲ぶような風景は見当たりません。。

跡地の前に建てられた「千葉定吉道場跡」案内板には、以下のように記されています。

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千葉定吉(?〜一八七九)は、北辰一刀流剣術の創始者千葉周作の弟であり、自身も北辰一刀流の使い手として知られています。
千葉周作は、文政五年(一八二二)に道場を品川町(現在の日本橋室町一丁目のうち)に開き、その後、神田お玉ヶ池(現在の千代田区岩本町付近)に移転をしました。玄武館と名付けられたこの道場は、江戸三大道場の一つに数えられるほどの隆盛を極めました。
定吉は、兄周作の玄武館道場の隆盛に貢献した後、自らもこの地付近に「小千葉道場」などと通称される道場を開きました。
定吉の名前は、嘉永六年(一八五三)十二月改正の絵図には新材木町(現在の日本橋堀留町一丁目のうち)に、嘉永七年正月改正の絵図には狩野屋敷と呼ばれていた(幕府奥絵師鍛冶橋狩野家の屋敷に由来)この地域に確認することができます。
嘉永六年、剣術修行のために江戸へ出てきた土佐藩士坂本龍馬(一八三五〜一八六七)は、定吉の門に入ったとされています。この時定吉は、鳥取藩池田家に仕官していたため、龍馬は定吉の息子千葉重太郎のもとで修行に励んだとも考えられています。また、安政三年(一八五六)に江戸へ再出府した際にも、定吉の道場で剣術修行を行い、安政五年正月には定吉から「北辰一刀流長刀兵法」の目録を伝授されました。

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最寄駅は、JR各線「東京」駅、もしくは「有楽町」駅。鍛冶橋交差点からすぐのところにあります。

案内板。

道場跡地に建つビル。

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