平将門の首塚

2017.05.15[ 史跡・公園等 ]

平将門の首塚

数々の逸話が物語る・将門信仰の中心地 平将門の首塚

藤原秀郷らによって討ち取られ、平安京で晒されていた将門の首。伝承によると、晒されて3日目の夜に空に舞い上がり故郷(現在の茨城県)に飛んで行き、数カ所に落ちたと伝わっています。その中の一つが東京・大手町にある「平将門の首塚」。

当時塚を築き首を祀ったのが「津久戸明神」、現在九段にある「築土神社」です。こちらの「御由緒」には「首を持ち帰り祀った」とあります。

「将門公の怨霊」は古くから云われており、これを鎮めるために神田神社で供養が行われ、相殿に祀られるようになり、神田明神(神田神社)は江戸時代「江戸総鎮守」として徳川将軍家のみならず江戸庶民からも篤く崇敬されてきました。

「怨霊伝説」が復活するのは明治期から。

関東大震災によって塚は崩壊。跡地に大蔵省の仮庁舎を建設しようとしたところ、時の大蔵大臣早速整爾を始め大蔵省の人間や工事関係者など14人が相次いで死亡。さらに将門の死後1000年にあたる昭和15年には落雷により大蔵省庁舎が全焼しました。この時には大蔵省により石碑が建てられました(この碑は現存しています)。

さらに終戦後の昭和20年には、進駐軍がこの地の区画整理を計画し首塚を撤去しようとしたところ、事故が起こり死者が出る惨事に。

他にも虚実合わせ様々な話が伝わっています。

お参りした時は周囲は再開発の工事が進められていましたが、やはり首塚周辺はそのまま。気軽に「パワースポット」と呼べる空気は微塵もありません。日本の怨霊信仰(御霊信仰)がある意味生々しく感じられる場所です。

平将門の首塚写真

とりあえず正面からの写真のみ。首塚の跡と言われるものは、石碑の後ろです。

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